伊豆新聞連載記事(2011年12月25日)
火山学者 小山真人
3月11日の東日本大震災の津波にともなって、各地に大小さまざまな被災遺構が残された。それらは津波で破壊された建物、堤防、橋、歩道橋、線路などの建造物や、津波で運ばれた船、自動車、列車などの乗り物である。震災当時、こうした遺構は無数と言ってよいほどあったが、現在ではそのほとんどが復旧のために取り壊され、瓦礫として撤去されてしまった。前回まで述べてきたように、災害遺構の少なくとも一部は保存され、後世の人々への教訓や警鐘として伝えていくべきものである。そうした努力がいつか実を結んで、同じ惨禍から子孫を救うことになる。今回の震災以後、その遺構保存の動きが全くなかったわけではないし、当初は保存に前向きな自治体の声も伝えられた。しかし、被災者感情への「配慮」や保存費用の問題などを理由に、次々と撤去作業が実行されている。
たとえば、大津波に襲われて骨組みだけが残った宮城県南三陸町の3階建ての防災対策庁舎は、当初は保存して津波の被害と教訓を伝える意向を町長自身が語っていたが、その後一転して解体の方針が打ち出された。その理由は、遺族から「悲しみを呼び起こす」などの取り壊しを求める声が上がったからであり、町長は「一人でも取り壊しを求める声がある以上、尊重したい」と述べた(9月19日読売新聞)。
だが、この理由は、まさに前回述べた大阪の津波教訓伝承の失敗、すなわち「遺族が心を痛める」という理由であまり語られなかったために、百余年を経た頃にはすっかり忘れ去られ、再び同じ惨禍が起きたことを思い起こさせるものである。また、住民全員の合意を必要条件としたら、残せる遺構はほとんど無くなるばかりでなく、復興方針そのものの策定すら難しいのではないだろうか。
更地に異様な姿をさらす遺構は、今は目障りであろう。しかし、いずれ遺構には補強や化粧が施され、周囲に新しい街並みができていく。町がどこかに高地移転したとしても、遺構は公園化され、徐々に風景の中に溶け込んでいくだろう。
確かに保存費用は、被災自治体にとって大きな問題である。そのような費用があれば、復旧・復興に回したいのが本音であろう。また、遺構を解体する場合には撤去費用を国が負担するが、保存のための費用は出ないという事情もあるという。だが、現実には、日本各地の地震・火山災害の被災地で、数々の遺構が保存されていることを前回述べた。要は、子孫を同じ惨禍から守ろうという決意と、いずれは流入する復興資金の一部を遺構保存に活用したり、住民の合意を得たりするなどの調整努力の問題である。伊豆半島でも、災害が起きる前の平常時の今のうちに、遺構保存の方針や手順を住民合意のもとで作っておくべきだろう。
津波の被害は標高で明暗を分ける。向かって左側の街並みはほぼ全壊なのに対し、右側は若干標高が高いためにほぼ無傷。岩手県釜石市唐丹。
津波とそれに伴う火災で変形した歩道橋。最上部はほぼ無傷。宮城県気仙沼市鹿折。