伊豆新聞連載記事(2011年10月30日)
火山学者 小山真人
前回、実害の恐れが少しでもあるものを「風評被害」と呼ぶことはできないし、そうしてはならないと述べた。その理由として「風評被害」の言葉の定義上の問題を挙げたが、それ以外にも大きな理由がある。それは、被災リスクのとらえ方は人によってさまざまである上に、要援護者や持病の持ち主など、小さいリスクであっても可能な限り避けなくてはならない事情を抱えた人々もいるからである。どうか自分が逆の立場になった時のことを考えてほしい。行政や観光業者にとっては、過剰に警戒感を高めた観光客の自粛行動によって生じた「風評被害」であっても、当の観光客にとっては決して「風評被害」などではなく、考え抜いたあげくの正当なリスク回避行動なのである。
つまり、「風評被害」は、観光業者側の立場と解釈を、観光客に一方的に押しつける言葉なのだ。これは福島原発災害にともなう食品の放射能汚染の問題でも全く同じである。放射線による被曝(ひばく)のリスク(とくに低線量被曝の人体への晩発的影響)は科学的に解明できていない範囲が広いため、検出された値が暫定規制値以下でも、そのことだけで安全が保証されるわけではない。また、そもそも暫定規制値自体が非常時に限った高目の値である。そうした点を考慮すれば、一部の消費者の買い控えは正当な自己防衛にあたり、それを「風評被害」として一括してしまうのは、やはり消費者の立場や感情を踏みにじる行為と言えるだろう。
では、伊豆東部火山群のマグマ活動に関して、地元の行政や住民はどのように対処すべきであろうか? マグマが浅部へ上昇した場合である「注意」シナリオ(本連載第63〜64回)に際しては、気象庁の発表する「群発地震の予測情報」などにもとづいて現状や見通し、強い揺れに襲われる危険性が小さいけれども存在すること、それに対して十分な対策を講じてあることなどを、誠実かつ懇切丁寧に説明し、まずは可能な限り観光客の不安を取り除くように努めることが肝要である。そうした上で、あとは観光客の自由選択に任せるしかない。つまり、自粛行動による経済的被害は、ある程度やむをえないものとして受忍するのである。ほとんどの群発地震は、長くても1〜2週間で終了する。普段はマグマ活動の産物である風光明媚な地形や温泉の恵みを享受しているのだから、それくらいは仕方がないことと諦めるしかない。せめて「風評被害」などという、観光客を見下すような失礼な言葉を使うことだけは、今後やめたほうがよい。
一方、マグマ活動が「警戒」シナリオに至った場合は、もはや「風評被害」などという甘いレベルの話ではない。頭を切り替え、腹をくくって、とにかくすべての観光客と住民の安全をいかに確保するかが緊急の課題となる。また、そうした方策を万全に整え、安全・安心な観光地を実現させておくことが、観光客の信頼や、ひいてはリピーターの獲得につながっていくだろう。
伊東温泉街とその背後にそびえる大室山。マグマ活動がこの土地と温泉をつくった。