伊豆新聞連載記事(2011年7月24日)

伊豆ジオパークへの旅(59)

伊豆ジオパークの目標(19)ジオパークと防災(9)

火山学者 小山真人

 前回に引き続き、伊豆東部火山群の「地震活動の予測情報」が2009年12月の群発地震の際に発表されていたとしたら、当時の対応がどう変わったかを考える。
 12月17日の夕刻に、予測情報の中身やそれにともなう防災対応を解説する「火山防災協議会」の会見(第1回)がおこなわれたとする。その日の深夜と18日の朝に市役所で震度5弱を記録した地震(それぞれマグニチュード5.0と5.1)が発生し、局地的ではあるが市内各所で家屋の一部損壊などの被害が生じた。群発地震の開始早々に被害が生じることはまれであり、多くの市民が驚かされただろうが、震度5弱以上の揺れの可能性はすでに前日の予測情報で告げられ、協議会の会見でも解説されていたため、より冷静に受け止められただろう。
 この地震被害の発生を受け、協議会は18日中に応急的な被害調査を実施し、夕刻にはその概要や予測情報の更新内容もふまえた会見を再び開催して、全体としての被害が軽微であることを、群発地震の見通しも含めて懇切丁寧に解説することになる。このようにして群発地震のリスク全体を過不足なく把握し、その情報を逐一開示・解説し、フォロー情報も発表していくことで、市民や観光客との信頼関係が培われていくのである。
 しかも、予測情報の強みは、次に述べる最終報や「終息宣言」を待つことなく、その群発地震が過去の活動と比べてどの程度のものであるかが、早い時点で見極められることである。2009年12月の場合は、ひずみ計の変化自体が過去の大きな群発地震に比べて格段に小さかったから、18日時点ですでに大勢は判明していた。つまり、18日夕刻の協議会の第2回会見は、「安心情報」を伝える会見となりえたはずである。
 そもそも、過去46回あった群発地震の中で噴火が心配される深刻な事態に至ったものは4例、その中で実際に噴火したものはたった1例である。逆に言えば46回のうち42回は安心情報を出せたことになるが、今年3月以前には、それをおこなう公的なしくみが存在しなかった。そのしくみこそが、今後発表されることになった気象庁の「地震活動の予測情報」であり、その中身や対策を市民と対話しながら解説する場が火山防災協議会の会見だと理解してほしい。
 その後のマグマ上昇にともなうひずみ計の変化は19日に緩くなり、20日にほぼ停止した。それにともなって群発地震の回数も減少した。これを受けて予測情報の最終報が20日に発表され、主たる活動が終了したことが告げられただろう。現実には、同じ20日に伊東市長が記者会見をおこなって「終息宣言」を発表したが、専門家のサポートのない終息宣言が市民や観光客の信頼を得ることは難しい。その明確な科学的根拠を、今後は予測情報の最終報や、それを解説する協議会の会見をもって示すことができるのである。

 

2009年12月の群発地震を検討した火山噴火予知連絡会伊豆部会の様子。筆者も学識者として招かれた。

伊東市役所における記者会見(2010年9月1日の防災訓練時のもの)


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