伊豆新聞連載記事(2011年2月13日)

伊豆ジオパークへの旅(36)

伊豆ジオパークの構成(22)沼津・三島ジオエリア(中)

火山学者 小山真人

 三島市街地の東から箱根山に向かって続く緩やかな丘陵地は、かつての箱根火山の爆発的な噴火によって噴出した火砕流(本連載第1部第66回)が厚く積もってできた土地である。ここでは、あちこちの崖に火砕流の地層や、その上をおおう軽石層(三島軽石)が観察できる。緩やかな地形は、農地や宅地として利用されている。三島市佐野付近にある凹地は、かつて高温の火砕流が池または湿地帯をおおって流れたために、その水分が急激に沸騰して水蒸気爆発を起こしてできた二次的な火口の跡である。こうした見どころが多いこの地域を、箱根南西麓ジオサイトとして考える。
 柿田川との合流点から狩野川を少し上流にさかのぼった沼津市大平地区には、中世から近世にかけての数多くの自然災害を含む地域の歴史をつづってきた年代記(大平年代記)が現存する(同119回)。大平地区を含む狩野川下流域は、たびたび洪水にみまわれてきた土地でもあり、洪水を防ぐための陸閘(りくこう)や、大規模な河川つけかえ工事の痕跡を今も見ることができることから、大平ジオサイトを設定した。
 大平付近から下流の香貫山北麓にかけて、狩野川は平野の真ん中を堂々と流れず、静浦山地に沿いながら、いかにも窮屈に流れている。これは富士山や箱根山から流れ出た大量の溶岩や火砕流・土石流が南に押し出し、狩野川の流れを南に追いやったためである。つまり、狩野川は富士山と箱根山が供給する土砂によって、出口を失いつつあるという宿命を背負った川であり、その排水能力にはおのずと限界がある。その限界を見せつけられたのが、1958年狩野川台風による洪水被害である。この災害の後、狩野川の宿命に気づいた人間の英知は、狩野川放水路を完成させた。この大規模な「川のバイパス」は、すでに中伊豆北エリアの伊豆長岡ジオサイトの箇所でも説明したが、放水路のトンネルの出口が沼津市内浦にあり、静浦・内浦ジオサイトの見どころのひとつにもなっている。
 静浦・内浦ジオサイトには、海底火山が噴出した軽石や火山灰の地層が厚く分布しており、その中には波や海流の作用によって美しい斜交層理が刻まれているものが多い。それらの規模や美しさは西伊豆エリアの堂ヶ島海岸(同14〜15回)にまさるとも劣らぬものであり、きちんとした観察場所さえ保全できれば一大観光地になってもおかしくないものである。また、こうした地層の中を貫いたマグマが冷え固まってできた「火山の根」(同17回)を、沼津市の獅子浜や淡島などで観察できる。残念なことに、現在ではこれらの地層や岩石の多くがコンクリートにおおわれてしまった。早急な保全対策が必要である。



かつて沼津市多比(たび)付近の道路ぞいで見られた崖。白色の海底火山灰の地層を黒色の岩脈が貫いている。
海外の教科書に載せられてもおかしくない見事なものであるが、すでに失われたとみられる。

 


沼津市獅子浜の柱状節理。かつての海底火山の「根」の一部である。

 

 

もどる