伊豆新聞連載記事(2010年12月12日)
火山学者 小山真人
下田港ジオサイトは、何と言っても伊豆では珍しい大型の入り江を活かした古くからの港町が魅力である。この入り江は、その東を囲む須崎半島あってのものであるが、須崎半島は伊豆半島全体が西に傾いていく過程で、浅瀬だった海が隆起してできたものである(本連載第1部第113〜114回)。半島全体が台地状の地形をしているのは、そのためである。しかし、下田港のような入り江は、津波に対しては圧倒的に不利である。津波のエネルギーを集めて増幅してしまう作用があるからである。こうした地形的な宿命により、下田の町は古くから津波の被害を受けてきており、中でも1854年安政東海地震の津波によるロシア軍艦ディアナ号の被災は有名である(同116回)。こうした自然との共生・相剋(そうこく)の歴史がジオパークの格好のテーマとなりえることは、前々回でも説明した通りである。
下田港の背後には、寝姿山(ねすがたやま)と下田富士という2つの「火山の根」がそびえている(同17回)。かつての海底火山の中心部分が浸食によって洗い出されたものである。寝姿山にはロープウェイで簡単に登ることができ、そこから下田港と須崎半島の景観を楽しむことができる。
港を隔てて下田の対岸にある柿崎の三島神社裏の崖には、海底火山から噴出した火山灰が波や海流の作用によって美しい縞模様(斜交層理)(県指定天然記念物)をつくっている。その説明表示には「偽層理(ぎそうり)」とあるが、現在はほとんど使われない言葉なので、斜交層理と言い換えるべきである。柿崎の斜交層理は、かつては西伊豆町の堂ヶ島海岸の斜交層理にまさるとも劣らない見事なものだったが、保存状態が悪化の一途をたどっており、現状ではジオサイトとしての指定は難しい。その西側部分は最近の法(のり)面工事によって破壊された。防災面を重視した結果と聞くが、せめて景観の破壊を最低限に抑える工法がとられるべきであった。こうした美しい海底火山灰の地層は、柿崎以外の場所(大賀茂付近など)にも広く分布し、古くから石材として切り出されてきた。下田の街を歩くと土蔵の石垣などに、こうした石材が使われているのを目にする。
蓮台寺ジオサイトの魅力は、由緒正しい温泉街のほか、金などの鉱石をさかんに採掘した鉱山跡が残っていることである。山中のあちこちに眠る坑道や鉱石は今でもマニアの垂涎(すいぜん)の的となっているが、マニアの中だけにとどめず、地域の財産として保全・活用すべきものである。
上空から見た須崎半島(手前の半島)と下田港(半島の左の入り江)。
須崎半島の恵比須(えびす)島に見られる地層。海底火山から噴出した火山灰が、波や海流の作用によって洗われたものである。須崎ジオサイト。