伊豆新聞連載記事(2010年7月25日)

伊豆ジオパークへの旅(8)

伊豆ジオパークのテーマ(2)北上と衝突(下)

火山学者 小山真人

 伊豆ジオパークの5つのテーマのうちの第1のテーマ「本州に衝突した南洋の火山島〜移動と衝突を語る各種の証拠〜」に関する解説を続けよう。本州への衝突の証拠としては、かつて伊豆と本州の間にあった海峡を埋めた地層の存在(第1部第25〜26回参照)がもっとも直接的なものであろう。こうした地層は、当然のことながら伊豆地域の外周を取りまくように分布しており、代表的なものは足柄山地(小山町や神奈川県山北町など)と星山丘陵(富士宮市と富士市)の一部にある。とくに小山町生土(いきど)では伊豆側と本州側の地層が断層を隔ててじかに接する場所が目で見られるため、重要である。伊豆ジオパークを設置する際には、特例的な飛び地として小山町も含めてほしい。なお、これらの地域の岩石中に含まれる「地球磁場の化石」の方位は、伊豆がめりこんで本州側に大規模な変形を与えたことを明白に物語っている(第1部第28回参照)。
 伊豆半島内の陸上において本州との衝突を実感できる場所として最もわかりやすいものが、伊豆の「最後の海」の地層(本連載第1部第27回参照)であろう。伊豆半島の陸上には過去2000万年もの長期間にわたる火山噴火の産物(溶岩や火山灰など)が厚く分布しており、噴火を休んでいる間にたまる地層も、それらが波によって削り出されたものである。ところが、伊豆の一部(伊豆市の城(じょう)や筏場(いかだば)など)にだけ、普通の泥や砂れきの地層が薄く分布している。およそ100万年前の地層である。含まれる化石から、この地層の一部が水深200〜600メートルの深い海にたまったことがわかる。伊豆の地層でこのような深い水深を示すのは、他には1000万年前より古い時代のものしかない。つまり、伊豆の一部が100万年前のほんの一時期のみ、深い海に没したことがわかる。この100万年前という時期は、ちょうど伊豆と本州の間にあった海峡が土砂で埋められる直前であり、伊豆が本州との間にあった海溝に没しかけたことを示す地層と考えられている。しかし、その後、伊豆は海溝に沈みこむことができないまま、本州に衝突して半島化したのである。
なお、伊豆は衝突した後も本州を押し続けており、本州側の地層にさまざまな変形を与えるとともに、伊豆の大地自身の変形も進行中である。これらの変動も伊豆と本州との衝突の影響とみなすこともできるが、現在進行形の変動については人間社会と直接関わる点を重視し、第4のテーマ「生きている伊豆の大地」として整理し、後述する。

 

かつて伊豆と本州の間にあった海峡を埋めた地層の分布(灰色に塗られた部分)。太い破線はフィリピン海プレート(伊豆側)と本州側のプレートの境界。この破線より南の領域は、もともと日本列島ではなかった部分。

 

伊豆と本州の衝突過程を描いた断面図。

 
 

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