伊豆新聞連載記事(2009年7月19日)
火山学者 小山真人
前回まで、伊豆の火山噴火史のもっとも新しい時代(15万年前以降)にあたる伊豆東部火山群の歴史をたどってきた。1989年7月に伊東沖の海底で起きた手石海丘(ていしかいきゅう)の噴火を別にすれば、およそ2700年前に起きた岩ノ山-伊雄山(いおやま)火山列の噴火以来、伊豆とその周辺海域での火山噴火は知られていない。しかし、伊豆の大地は今も活動し続けており、たびたび大きな地震も発生している。そうした地震の中には、大地に亀裂やずれを生じさせたものもあり、ずれが積み重なった結果、はっきりと活断層の地形を認識できるものもある。今回以降は、歴史時代を中心として、実際に伊豆の大地が生きていることを示す事件や証拠を説明していこう。
本連載の第1回で述べたように、伊豆の大地は地学的に特異な場所にある。日本列島付近には4枚のプレート(岩板)が折り重なっており、伊豆はフィリピン海プレートの北端に位置している。伊豆をのせたフィリピン海プレートは、本州に対して年間数センチメートルという、ゆっくりとしたスピードで北西に移動している。伊豆半島の両側では、フィリピン海プレートが本州側のプレートの下に沈み込んでおり、プレート同士がこすれあうことによって、時おり巨大な地震が発生している。このうち四国〜紀伊水道沖で起きるものを南海地震、熊野灘〜駿河湾で起きるものを(広い意味の)東海地震、相模湾〜房総沖で起きるものを関東地震と呼んでいる。また、初島沖にはフィリピン海プレート内部に裂け目があり、小田原地震(神奈川県西部地震)の発生場所となっている。これらの大地震は、伊豆の大地を大きく揺らしたり、津波を海岸に到達させたりして、そのつど大きな被害を与えてきた。
一方、伊豆付近の地殻は、火山の熱によって暖められて軽くなっているために、他のプレートの下には容易に沈み込めない。このため、もとは南洋上の島であった伊豆は、今は本州に衝突して半島の形となったのである。それでも伊豆を本州に押し込もうとする力が働いているため、伊豆半島とその周辺には多くの活断層ができ、それらが時々ずれ動くことによって大地震が発生している。たとえば、函南(かんなみ)町から伊豆の国市にかけて伸びる丹那(たんな)断層、南伊豆町の石廊崎(いろうざき)断層などが有名な活断層である。
伊豆半島とその周辺の地学的状況。近くの海域で生じる大地震の発生場所も示した。