伊豆新聞連載記事(2009年5月24日)
火山学者 小山真人
これまでの研究によって、カワゴ平(だいら)火山の噴火の推移は、おおよそ次のようであったと考えられている。およそ3200年前のある日、天城山の地下で不気味な群発地震活動が始まった。やがて季節も夏にさしかかった頃、ついに火口が開いて爆発的な噴火が始まり、巨大なキノコ状の噴煙が成層圏にまで立ち上った。成層圏には通常ジェット気流の西風が吹いているが、この西風は夏季になると弱まり、低気圧や台風などの影響で別方向の風が吹くことがある。この噴煙も、そうした時期の南東風にあおられて火口の北西に流され、風下の地域では噴煙に運ばれた軽石の雨が降りそそいだ。
ここで噴火は小康状態となり、火口には小さな溶岩ドームが盛り上がった。しかし、この最初の噴火は、さらに大量のマグマの眠りを覚ますきっかけとなったらしい。すぐに次の爆発的噴火が始まって火口にフタをしていた溶岩ドームをこなごなに吹き飛ばしたため、風下では軽石の中に交じって、溶岩ドームの破片である黒曜石(こくようせき)の岩片が降りつもった。
この後、噴火はさらに深刻な事態を迎える。火砕流(かさいりゅう)の発生である。噴煙の一部がくずれ落ち、火砕流として天城山の斜面を流れ始めたのである。最初の2回の火砕流は北西に流れ、その先端は伊豆市湯ヶ島の近くにまで達した。その後も噴煙からの軽石の降下と小規模な火砕流がくり返された。最後の火砕流はもっとも規模が大きく、1度に3000万トン分のマグマが火砕流となって流れ、伊豆市の筏場(いかだば)付近を埋めつくしたほか、天城山の稜線を越えて東伊豆町方面にも流れた。なお、ここまでの風向きは噴火開始時と同じ南東風であり、風向きが変化する間もない短い期間、おそらく数日以内のできごとであったことを物語っている。
その後、ガス成分の抜けたマグマが火口から大量に流出し、4億トンもの量の溶岩が北方へゆっくりと流れ下って、すべての噴火が終了した。この噴火によるマグマの総噴出量は7億6000万トンに達し、大室山を2億トン以上も上回る、伊豆東部火山群で最大級のものである。噴火によって広大な面積の森林が破壊されたため、噴火終了後も雨が降るたびに大規模な土石流が発生し、大見川を何度も流れ下った。
カワゴ平火山のおもな噴出物等の分布図。細い実線は主要道路。