伊豆新聞連載記事(2009年4月19日)
火山学者 小山真人
大室山のふもとから湧き出た溶岩(前回述べた溶岩流IIと溶岩流III)が、もっとも大量に流れ下ったのが南東方向である。この溶岩流は、伊東市の払(はらい)と八幡野(やわたの)の間の幅4キロメートルの範囲で相模湾に流れこんで海を埋め立て、場所によっては海岸線を2キロメートル近く前進させた。噴火が広い陸地をつぎ足してくれたのである。この溶岩流の最先端にあたる場所が、現在の城ヶ崎(じょうがさき)海岸である。大室山が噴火する前の海岸線は、現在の国道135号線と伊豆急行線の間くらいの位置にあったとみられるが、入り江や岬もあっただろうから、正確な形を描くためには詳しい地下の調査が必要である。
その後、噴火の最終段階になって、大室山の西のふもとから少しだけ溶岩が流れ出た。これが溶岩流IVである。山頂火口の中にたまった溶岩が、横からしみ出したものかもしれない。その量は微々たるもので、200メートルほど流れただけで停まってしまった。この溶岩流は「さくらの里」公園の南に隣接した森の中にある。
噴火の終了後まもない頃に、大雨が降ったらしい。この雨は、火山灰におおわれて荒れた地表の土砂を押し流して土石(どせき)流を発生させた。この土石流がもたらした黒々とした土砂の層を、大室山の南の道路ぞいの崖で今でも観察できる。
大室山の噴火は、3億8000万トンの溶岩を流しただけでなく、合計で1億3000万トンもの火山灰を周囲に降りつもらせた。この火山灰は、大室山から3キロメートル離れた八幡野や一碧湖(いっぺきこ)付近でも50センチメートルの厚さをもち、伊東市役所付近や、遠く伊豆市の万城(ばんじょう)の滝付近でも厚さ数センチメートルの黒い層として確認できる。
この大室山の火山灰層と、他の火山の火山灰層との上下関係から、大室山の噴火はおよそ5000年前に起きたと大ざっぱに考えられていた。しかし、最近になって伊豆高原の工事現場から大室山の火山灰に埋まっていた木が発見され、それに含まれる炭素の年代が約4000年前と測定された。また、伊東温泉街付近の遺跡の縄文(じょうもん)土器と火山灰の関係からも、ほぼ同じ年代が推定されている。こうしたデータにもとづいて、大室山の噴火は約4000年前に起きたと考えられるようになった。
大室山の溶岩流が海を埋め立ててつくった城ヶ崎(じょうがさき)海岸。