伊豆新聞連載記事(2009年2月15日)

伊豆の大地の物語(77)

伊豆東部火山群の時代(37)富士山噴火と伊豆(上)

火山学者 小山真人

 本連載の第50回と64回で、箱根山から噴出した軽石や火山灰が、伊豆にも降りつもっていると述べた。箱根山の西隣には、もうひとつ別の活火山・富士山がある。富士山はおよそ10万年前に噴火を始めたから、その活動期間のすべてが伊豆東部火山群の活動期間(約15万年前〜現在)と重なっている。富士山の火山灰は、伊豆に飛んできていないのだろうか?
 富士山の噴火と言えば、およそ300年前の1707年12月に起きた宝永(ほうえい)噴火が有名である。この噴火は、富士山の噴火史上トップクラスの大規模かつ激しい噴火であり、南東斜面に開いた3つの火口から、マグマ量に換算して7億トンもの火山灰を成層圏まで噴き上げた。この噴煙は、冬のジェット気流に乗って東に流れたため、その風下にあたる現在の静岡県東部・神奈川県・東京都・千葉県などでは火山灰が雨のように降りつもった。その厚さは、小山町の須走(すばしり)付近で2メートルを越え、小田原で10〜20センチメートル、当時の江戸でも2〜3センチメートルあった。この降灰によって、農地や農作物が全滅しただけでなく、山林が荒れたために土石流や洪水が頻発するようになり、静岡県東部や神奈川県西部の住民は数十年の長きにわたって辛酸をなめることになった。
 しかし、幸いなことに、宝永噴火は伊豆地方にほとんど被害を与えなかった。火口から立ち上る噴煙や火柱は、三島や沼津など東海道沿線の宿場町からも目撃され、旅人や住民の恐怖した様子が記録に残されているが、火山灰は噴火開始の翌朝未明に沼津などにわずかに降った程度であった。風向きが安定する時期であったことや、16日間という短い噴火期間も幸いした。伊豆方面に降った火山灰は微量であったため、その現物を見つけることすら現時点では困難である。
 しかしながら、さらに過去にさかのぼると、およそ4万年前の富士山噴火がもたらした2枚の火山灰層が函南町内で見つかっている。また、富士山から流れ出た溶岩流や土石流の中には三島付近に達したものもあり、今後も火口の位置と噴火規模によっては、同様のことが起きる可能性がある。少なくとも北伊豆地域は、富士山が起こす噴火災害と無縁ではないのである。富士山の噴火史や防災対策の現状に関心をもつ人には、昨年末に刊行されたばかりの拙著「富士山大噴火が迫っている!最新科学が明かす噴火シナリオと災害規模」(技術評論社)をお勧めしたい。

沼津市の狩野川ぞいから見た富士山。宝永噴火を起こした火口が南東斜面(写真中央)に口を開けている。手前の山は愛鷹(あしたか)山。


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