伊豆新聞連載記事(2009年2月8日)
火山学者 小山真人
伊豆急行の伊豆高原駅の南西に、伊東市の八幡野(やわたの)港がある。この港の入江は、地形的には伊豆高原の南端に位置している。入江の南側には浮山(うきやま)温泉郷のある台地が海に張り出しているが、この台地は地質学的には伊豆高原と異なる歴史をたどった場所である。伊豆高原は、およそ4000年前に大室山の溶岩流によって作られた。一方、浮山温泉郷の台地は、その西側の山中で約2700年前に噴火した伊雄山(いおやま)の溶岩が海を埋め立ててできた。この伊雄山の噴火については後日改めて述べることにして、今回は伊雄山のさらに南側で起きた火山の噴火について説明しておこう。
浮山温泉郷の台地の南に接して、もうひとつ小さな入江がある。この入江の奥にある小さな港町が、伊東市赤沢である。赤沢の西側には天城山の山なみが広がり、その中腹に2つの別荘地(恒陽台と望洋台)が隣接して建設されている。この別荘地の中ほどには、南東に向かって開いた直径250メートルほどの凹地と、それをとりまくU字形の峰がある。調査の結果、この凹地は火口、U字形の峰はタフリングであることがわかり、赤窪(あかくぼ)火山と名づけられた。タフリングは、マグマが地下水などと触れあって生じる爆発的噴火によってできるリング状(または円弧状)の火山である。
赤窪火山の火口からは溶岩流が東南東に1500メートルほど流れ下り、海岸に達して「中の崎」という小さな岬をつくった。伊豆半島の東海岸を走る国道135号線は、この岬の溶岩流の下を短いトンネルで抜けている。注意深い人は、この岬の崖に、海側へと傾く赤黒い岩の層が何枚か見えていることに気づくだろう。この岩層こそが、赤窪火山の噴火中に数度にわたって流れ下った溶岩流の積み重なりである。
赤窪火山のまわりには火山灰も降りつもっている。この火山灰は、本連載の第73回で述べた稲取火山列の火山灰(1万9000年前)の上をおおい、大室山の火山灰(4000年前)におおわれる。この上下関係にもとづいて、赤窪火山の噴火年代を約1万3000年前と推定することができた。
南から見た浮山温泉郷の台地。その手前にある小さな岬が、赤窪火山の溶岩流がつくる「中の崎」である。