伊豆新聞連載記事(2009年1月4日)

伊豆の大地の物語(71)

伊豆東部火山群の時代(31)地蔵堂火山と万城の滝

火山学者 小山真人

 伊豆市(旧中伊豆町)を流れる狩野川支流の大見川(おおみがわ)は、その上流に行くと、ほぼ同じ川幅をもつ3本(西から順に大見川、地蔵堂(じぞうどう)川、菅引(すげひき)川)に枝分かれしている。どの川沿いにも天城山が背景の、よく似た田園風景が広がっており、不慣れな人は道に迷いやすい。このうちの菅引川の上流には、伊豆東部火山群の丸野山火山から流れた溶岩流が達していることをすでに述べたが(本連載第51回参照)、他の2つの川も伊豆東部火山群の噴火によって大きな地形変化を受けている。
 もっとも西側にある大見川の上流には、およそ3200年前に天城山の山頂付近で発生したカワゴ平(だいら)火山の噴火による分厚い火砕流(かさいりゅう)と溶岩流が流れ下った。伊豆東部火山群最大の噴火として知られるこの大事件については、いずれ詳しく述べる。今回紹介するのは、大見川と菅引川の間にある地蔵堂川ぞいで起きた噴火の話である。
 およそ2万4000年前、地蔵堂川の上流で噴火が始まり、その谷間をふさぐ形で地蔵堂火山が誕生した。地蔵堂火山は、大室山などと同じスコリア丘(きゅう)と呼ばれる種類の火山であり、ねばりけの少ないマグマのしぶきが火口のまわりに降りつもってできた山体をもつ。この山体の噴火当初の大きさは、底面の直径が700メートル、高さが250メートルほどもあったと思われるが、けわしい谷間にできたことが災いし、その後の浸食によって西半分が削られて失われてしまった。現在見られるのは、元の山体の東半分にあたる半円形の尾根のみである。
 ということは、当初のスコリア丘の半分にあたる膨大な量の噴出物が、おそらく土石流として地蔵堂川、さらには下流の大見川に流れ去ったことになる。この土石流の地層を、地蔵堂川ぞいのあちこちの崖で実際に見ることができる。地蔵堂川に沿う河岸段丘(かがんだんきゅう)のほとんどは、スコリアをたくさん含む土石流の厚い地層からできている。
 地蔵堂火山からは溶岩流も流れ出しており、地蔵堂川に沿って2キロメートルほど北にまで達している。この溶岩流の末端付近にかかっている滝が、有名な万城(ばんじょう)の滝である。

地蔵堂火山から流れ出た溶岩流にかかる万城(ばんじょう)の滝。


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