伊豆新聞連載記事(2008年11月2日)
火山学者 小山真人
伊東温泉街の南東側に物見(ものみ)が丘と呼ばれる標高20〜40メートルほどの台地がある。伊東市民にとっては、伊東市役所が建っている高台と言ったほうがわかりやすいだろう。この台地は、厚い溶岩流が流れてできたものである。この溶岩流の断面は、クスの古木で有名な葛見(くずみ)神社の裏手の崖(がけ)などに、黒々とした一枚岩として見えている。
この溶岩流を流した火山は、伊東市役所の南東500メートルほどの場所にある標高151メートルの丸い丘と考えられている。この丘の西端の崖には、溶岩のしぶきが火口のまわりに降りつもった厚いスコリア(暗色の軽石)の層が見えており、この丘が火山の一種であるスコリア丘(きゅう)だとわかる。この火山は、付近の地名から内野(うちの)火山と呼ばれている。
ところが、不思議なことに葛見神社付近にある溶岩流の直下や、物見が丘の東の山中には、この連載で何度か述べてきた爆発角れき岩の地層が見られる。爆発角れき岩は、マグマが多量の地下水などと触れあって激しい爆発を起こした火口の近くに積もる地層である。こうした噴火では、大きな火口を取り巻くリング状の山体が特徴の「タフリング」や、火口だけが目立つ「マール」と呼ばれる種類の火山がつくられることが多い。
しかし、物見が丘の周辺にタフリングやマールとおぼしき地形は見当たらない。この謎を説明するために筆者が考えた噴火のシナリオは、以下のようなものである。
まず伊東温泉街の南東側で、伊豆東部火山群でよく見られるような北西-南東方向の割れ目噴火が起き、その割れ目上に2つの火山、すなわち物見が丘付近のマールと、内野のスコリア丘が誕生した。南東側にスコリア丘ができた理由は、標高が高いために地下水がほとんどなく、おだやかな噴火になったためである。その後、内野スコリア丘から流れ下った厚い溶岩流が、その北西側のマールを埋めてできたのが、現在の物見が丘の台地である。
なお、この両火山の噴火年代については、地表のデータからは決め手を欠いているが、伊東市役所を建てた時のボーリング調査の資料から7万6000年ほど前ではないかと考えている。
伊東温泉街から見た物見が丘の台地。矢印で示した丸い山が内野(うちの)スコリア丘(きゅう)。その左下の大きな建物が伊東市役所。