伊豆新聞連載記事(2008年8月24日)

伊豆の大地の物語(52)

伊豆東部火山群の時代(12)一碧湖と東大池

火山学者 小山真人

 一碧湖(いっぺきこ)は、伊東温泉街と大室山の間の高原地帯にある直径600メートルほどの円形をした美しい湖であり、もとは「吉田の大池」と呼ばれていた。地形をよく見ると、一碧湖の南東に隣接して、ほぼ同じ大きさの円形の凹地がある。この凹地の北西部も小さな湖になっていて、細い水路で一碧湖とつながっている。
 この2つの凹地は、爆発的な噴火によってできた火口の跡である。その証拠に、凹地の端は切り立った崖(がけ)となっている場所が多く、そこには火山弾を多数含む厚い「爆発角(かく)れき岩」の地層を見ることができる。火山の名称としては、北西側が「一碧湖」、南東側が「東大池(ひがしおおいけ)」と呼ばれている。両者は、場所が隣り合わせであることと噴火時期の差が認められないことから、同時に噴火してできた双子の火山と考えられる。
 ただし、火山と言っても火口跡の凹地のほかに目立った地形はない。このような種類の火山は、ドイツ語を語源とする言葉で「マール」と呼ばれている。マールの仲間は世界中にたくさんある。日本では、伊豆大島の波浮港(はぶのみなと)や、男鹿半島の一(いち)の目潟(めがた)、北海道の羊蹄山(ようていざん)のふもとにある半月湖(はんげつこ)などが、その例である。凹地内に水がたまって湖や入江になっているものもあれば、干上がって凹地だけが残っているものもある。
 調査を進めるうちに、驚くべき事実が明らかになった。最初に述べた爆発角れき岩の中に、特徴的なオレンジ色をした厚さ40センチメートルほどの軽石層がはさまれているのを見つけたのだ。前々回で述べた箱根山起源のDa(ディー・エイ)-4軽石である。このことは、一碧湖と東大池が噴火している最中に、箱根山でも大噴火が起きたことを意味する。地学的な意味での激動の時代である。また、逆にこの事実から、一碧湖と東大池の噴火年代が、Da-4軽石と同じ10万3500年前であるとわかった。
 一碧湖の西端と東大池の南端は、その後4000年前に大室山から噴出して北へと流れてきた溶岩流によって一部が埋め立てられた。一碧湖の西端にある「十二連島(れんとう)」と呼ばれる小さな島の連なりは、湖に流れこんだ大室山の溶岩流がつくった地形である。

北側から見た一碧湖(いっぺきこ)。奥に見える山は大室山。

 


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