伊豆新聞連載記事(2008年8月17日)

伊豆の大地の物語(51)

伊豆東部火山群の時代(11)丸野山

火山学者 小山真人

 伊豆スカイラインは、かつての陸上大型火山のうちの湯河原・多賀(たが)・宇佐美・天城の4火山がつくった山々の稜線(りょうせん)に沿って、北は熱海峠から南は天城高原まで、直線距離でほぼ南北25キロメートルを信号なしで走破できる快適な道路である。この道路は伊豆市冷川(ひえかわ)付近でいったん谷底に降りるが、さらに南下すると再び上り坂となり、やがて標高400〜550メートルほどの広々とした台地の上を終点の天城高原まで通じている。
 この台地は、天城山から数十万年前に噴出した分厚い溶岩流の上面にできた地形であり、丸野山(まるのやま)高原あるいは丸野高原などと呼ばれている。その美しい景色や平坦な地形を利用して、国民宿舎中伊豆荘や中伊豆グリーンクラブゴルフ場などが作られている。この高原上の一角に、高原の名前の元となった丸野山(標高697メートル)がある。
 丸野山も伊豆東部火山群の一員であり、できかたは伊豆高原の大室山(おおむろやま)などと同じで、溶岩のしぶきが火口のまわりに降りつもってできた「スコリア丘(きゅう)」と呼ばれる種類の火山である。4000年前にできた大室山よりも相当古いために少し形が乱れているが、少し遠方から見れば、丸野山もスコリア丘特有のプリン形をしていることがわかる。プリンの底は東西に延びた楕円(だえん)形をしており、東西方向の直径は約800メートルで大室山に匹敵するが、高さは140メートルほどで大室山の約半分である。
 丸野山の噴火で降りつもった火山灰の地層は、丸野山高原や伊東市南部を含む広い範囲で見つけることができ、前回述べた箱根山起源のDa(ディー・エイ)-4軽石層の少し下にある。このことから、丸野山が10万7500年ほど前に噴火したことがわかった。
 丸野山の北のふもとからは溶岩流が流れ出しており、その一部は伊豆スカイラインを越え、中伊豆荘の南で丸野山高原からこぼれ落ち、大見(おおみ)川の支流である菅引(すげひき)川の岸にまで達している。

丸野山(まるのやま)とその周辺の地図。2つの楕円は、丸野山の噴火で降りつもった火山灰の厚さがそれぞれ50センチメートルと100センチメートルの範囲を示す。位置関係がわかるように遠笠山(とおがさやま)と大室山も示した。

 


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