伊豆新聞連載記事(2008年7月20日)

伊豆の大地の物語(47)

伊豆東部火山群の時代(7)長者原

火山学者 小山真人

 伊豆の国市を走る宇佐美-大仁(おおひと)道路に沿って、田原野(たわらの)や長者原(ちょうじゃがはら)の地名を見つけることができる。地学の心得が多少ある者なら、この付近の道路ぞいの崖(がけ)に、大きな火山弾を多数含む厚い地層を容易に発見できるだろう。この種の地層は「爆発角れき岩」と呼ばれ、付近で激しい火山爆発があったことを意味する。
 この地層を遠方へと追跡していくと、細かい縞々(しましま)の入った褐色火山灰に変化し、前々回に説明した高塚山(たかつかやま)の火山灰の上を直接おおっていることがわかった。つまり、高塚山と同じ13万2000年前に噴火した別の火山が、田原野あるいは長者原付近のどこかにあったのである。具体的な火口の位置はどこなのだろうか?
 この火口探しの作業は少し難航した。最初はサイクルスポーツセンターのある丘が怪しいとにらんで「田原野火山」と命名し、1992年秋に伊東市で開催された日本火山学会で報告した。しかし、その後の航空写真の分析結果から、その東側にある長者原盆地が直径700メートルほどの大きな火口であるとわかったため、「長者原火山」と改名して論文を発表した。
 いずれにしろ、これまで知られていなかった火山がひとつ、伊豆東部火山群の仲間に加わったわけである。
 最初に長者原盆地を火口候補として見落としたことには理由があって、付近には田原野盆地、浮橋(うきはし)盆地、丹那(たんな)盆地などの、よく似た盆地が多数あるためである。これらの盆地は、1930年北伊豆地震を起こした丹那断層や、それと一連の活断層群がつくった地形であることが知られていた。このため、当初は長者原盆地も活断層がつくった地形だろうという先入観があったのである。
 長者原火山の爆発性は、伊豆東部火山群の中でも屈指のものであり、その火山灰は伊豆半島の広い範囲にまき散らされ、その厚さは宇佐美-大仁道路ぞいの広い範囲で1メートル以上、伊豆市冷川から天城高原に行く途中の国民宿舎中伊豆荘の付近でも10センチメートルある。

長者原火山から放出された火山弾。同じ火山から噴出して降りつもった火山灰の地層中につきささっている。地層の変形のしかたから、この火山が東から飛んできたことがわかる。実際に、この場所の東2キロメートルに長者原盆地がある。

 


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