伊豆新聞連載記事(2008年6月15日)

伊豆の大地の物語(42)

伊豆東部火山群の時代(2)遠笠山

火山学者 小山真人

 伊豆半島の屋台骨をなす天城(あまぎ)連山の中で、もっとも東側にある遠笠山(とおがさやま)(標高1197メートル)は、丸みをおびた三角形ないしは台形の山体が印象的な山である。
 天城連山は、最高峰の万三郎(ばんざぶろう)岳(標高1406メートル)を含む複数の峰からなる。この峰々は、かつての天城火山の山体の「浸食され残り」に過ぎないことを、本連載の第35回で述べた。遠笠山も、かつては天城火山の一部と考えられていた。ところが、その岩石の化学成分を分析した結果、天城火山ではなく伊豆東部火山群の一火山であることが判明した。天城連山の他の峰々と違って遠笠山のシルエットが美しいのは、噴火年代が若いために当初の火山の原型を保っているからである。
 遠笠山は、北西-南東方向に伸びた円錐形をしており、円錐の底の直径は1200メートル、底から頂点までの高さは250メートルほどである。当初は小型の成層火山と考えられたこともあったが、噴火の休止期間をはさむ証拠が見られないことや、通常の成層火山と比べてずっと小さいことから、大室山などと同じ単成(たんせい)火山の一種「スコリア丘(きゅう)」の仲間とみるべきである。西側と北東側のふもとに溶岩が流れ出しており、北東側のものは2キロメートルほど先まで流れ下っている。
 遠笠山は、いつ噴火してできたのだろうか? 遠笠山の東側の台地に伊東市営天城霊園がある。この霊園が造成された時に、道路ぞいの崖で見事な地層の断面が観察できた。断面の最下部に天城火山の溶岩流が確認でき、それをおおう15メートルほどの厚さのローム層(火山灰や、火山灰質のほこりが積もってできた地層のこと)の中に14枚ほどの火山灰層を見つけることができた。
 これらの火山灰の出どころはほぼ特定できたが、最下部にある40センチメートルほどの厚い火山灰層の正体が不明だった。遠笠山の近くでしか見られないことから、遠笠山から噴出したと考えて良さそうである。他の火山灰との関係から、この火山灰層の噴火年代を14〜15万年ほど前と見積もることができた。伊豆東部火山群の中で、この年代より古い火山は見つかっていないことから、遠笠山は伊豆東部火山群最古の火山と考えられる。

伊豆高原から見た天城(あまぎ)連山と遠笠(とおがさ)山。一番右にあるのが遠笠山。


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