伊豆新聞連載記事(2008年5月11日)

伊豆の大地の物語(37)

陸上大型火山の時代(6)棚場・猫越・長九郎火山

火山学者 小山真人

 達磨(だるま)山から西伊豆スカイラインを南に下ると、船原(ふなばら)峠に至る。船原峠は、中伊豆と西伊豆を結ぶ重要な交通路であり、行きかう車も多い。ここで西伊豆スカイラインは終点となるが、稜線ぞいをさらに南へと向かう県道西天城高原線が1999年に開通した。この道は棚場(たなば)山(標高753メートル)、南無妙(なむさ)峠などを経た後、湯ヶ島と西伊豆町を結ぶ県道が通る仁科(にしな)峠に至って終点となる。
 仁科峠から南にも稜線は続き、猫越(ねっこ)岳(標高1035メートル)を経て天城峠に至るが、ここに自動車道はなく、時おり縦走を楽しむハイキング客が訪れるのみである。さらに、猫越岳と天城峠の中間から枝分かれして南に向かう稜線もあり、猿山を経て長九郎(ちょうくろう)山(標高996メートル)に至る。長九郎山は、松崎の町から北東に望むことのできる山である。
 これらの稜線を形づくる山々は、達磨山や天城山と同様、かつての陸上大型火山の噴出物が積み重なってできたものである。地質や岩石の調査結果にもとづいて、北から棚場火山、猫越火山、長九郎火山の3つに分けられている。
 棚場火山は、北隣りの達磨火山と同様に、西半分のほとんどが浸食によって失われた古い火山である。浸食によってできた大きな谷の出口に土肥(とい)の町がある。一方、東側(湯ヶ島側)には、火山のなごりとも言える緩い斜面がかろうじて残っている。棚場火山ができたのは百数十万〜80万年前である。
 棚場火山の南に隣接する猫越火山は、100万〜60万年ほど前の噴火によってできた。西側(宇久須(うぐす)側)と南西側(仁科方面)は浸食されて切り立っているが、北東側(湯ヶ島側)に火山特有のなだらかな斜面を残しており、その平坦な地形を利用して天城牧場がつくられている。
 長九郎火山も60万年前ころの噴火でできた古い火山である。浸食によって山体の大半が失われ、わずかに長九郎山付近になだらかな斜面を残す。長九郎山の北にある猿山(標高1000メートル)も溶岩流でできており、かつては猫越火山あるいは長九郎火山の一部だったかもしれない。

猫越(ねっこ)火山の厚い溶岩流の断面。仁科(にしな)峠付近。


もどる