伊豆新聞連載記事(2008年4月20日)

伊豆の大地の物語(34)

陸上大型火山の時代(3)湯河原・多賀・宇佐美火山

火山学者 小山真人

 伊豆半島の付け根にあたる部分の相模湾ぞいに、北から湯河原・熱海・多賀(たが)・網代(あじろ)・宇佐美などの温泉町が並んでいる。これらの町のある低地には、本連載で説明してきた古い地層である湯ヶ島層群や白浜層群が分布している。ところが、町の背後の山に登ると、そこには陸上火山特有の溶岩流や火山灰が累々と積み重なっていることが、古くから知られていた。
 1930年代になると、東京から来た一人の若き地質・岩石学者がこの地の調査をおこなうようになった。彼の名前は久野久(くのひさし)(1910-1969)、後の東京大学教授、日本火山学会会長であり、日本の生んだ天才岩石学者として世界に名を知られることになる人物である。
 彼は、前記の火山噴出物を、北から湯河原・多賀・宇佐美の3火山として整理・区分した。その後、宇佐美火山については筆者も調査をおこない、およそ100万〜50万年前ころに噴火をくりかえした古い火山であることを明らかにした。湯河原・多賀火山は、宇佐美火山よりやや新しい、おそらく80万〜30万年前ころにできた火山である。
 これら3火山の噴出物の大半は、それぞれの火山名が示す温泉町よりも西側に分布するため、火山名の付け方に疑問を感じる人もいるだろう。しかし、久野は、3火山それぞれの東半分が浸食によって失われたことを見抜き、火山の中心により近い場所として湯河原・多賀・宇佐美の名前を採用したのである。
 現在の伊豆の国市や伊豆市の地形をみると、伊豆スカイラインが走る山の稜線から狩野川ぞいの低地にかけて緩やかな斜面が広がっている。これは、かつて標高1000メートルをゆうに超えていたであろう湯河原・多賀・宇佐美の3火山の山頂から、西に向かって裾(すそ)を引いていた地形のなごりである。
 久野は、これらの3火山の他にも、1930年北伊豆地震を起こした丹那(たんな)断層の起源や性質、同年の伊東群発地震の発生原因などについて、独創的な研究結果を次々と発表した。それらは後日改めて語ることにしよう。

伊豆スカイラインぞいの崖に見られる多賀(たが)火山の噴出物。層をなしているのは溶岩流。


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