伊豆新聞連載記事(2008年4月13日)

伊豆の大地の物語(33)

陸上大型火山の時代(2)並び立つ火山(下)

火山学者 小山真人

 地形図上で伊豆の山々の並び方をよく見ると、半島の屋台骨とも言える稜線(りょうせん)がアルファベットのJの形を描いていることに気づく。まず、箱根山から十国峠・亀石峠・冷川(ひえかわ)峠を経て天城(あまぎ)山に至る南北の稜線がある。この稜線は、天城山中で西へと曲がり始め、最南端の天城峠を経て北へと曲がり、さらに仁科(にしな)峠・船原(ふなばら)峠を経て再び南北の稜線となって達磨(だるま)山に至る。
 このJ字形の稜線は、主要な分水嶺(ぶんすいれい)にもなっている。J字形の稜線の内側が狩野(かの)川水系であり、この範囲に降った雨は、最終的には狩野川1本に集まって沼津付近で駿河湾に注ぐ。これに対し、J字形の稜線の外側に降った雨は、仁科川や河津川などの多くの小河川を通じて駿河湾や相模湾に注ぐことになる。
 このJ字形の稜線は、前回述べた伊豆にある大型火山13峰の中でも特に大きな7峰(J字をなぞる順に言うと、湯河原・多賀(たが)・宇佐美・天城・猫越(ねっこ)・棚場(たなば)・達磨の7火山)がつくり出した地形に他ならない。つまり、これら7峰がJ字形に並んだために、必然的にその形の稜線ができたのである。
 これら7峰は、おそらく富士山とまではいかなくても、噴火をくりかえしていた当時は円錐に近い美しい形をしていたはずである。しかし、噴火をやめて数十万年が過ぎ、浸食によって元の形の大半が失われた。とくに海側の浸食は激しく、たとえば多賀火山や宇佐美火山は、元の山体の東半分がすでに失われ、相模湾内に没してしまった。7峰のいずれも、中伊豆側の傾斜はゆるやかで溶岩流などの明瞭な火山地形を残すが、駿河湾・相模湾側の傾斜は急であり、火山地形もほとんど残っていない。もちろん山頂部分もすでに失われており、かつての最高点がどこにあったかすら定かでない。
 しかしながら、浸食は、火山の内部構造を見るには好都合な現象である。とくに海岸の崖には、さまざまな噴出物や、噴火の造形が観察できる場合が多い。次回以降は、これらの火山13峰の地形・噴出物・造形などを順にたどっていく。

伊豆半島の背骨をなす山並みは、火山がつくった。スペースシャトルの数値地図と「カシミール3D」を用いて描いた立体地図。


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