伊豆新聞連載記事(2008年3月23日)
火山学者 小山真人
筆者を乗せた有人潜水艇「しんかい2000」は、1991年10月29日朝から伊豆松崎沖20キロメートル付近の駿河湾底への潜航調査を開始した。調査の目的は、伊豆を乗せたフィリピン海プレートと本州側のプレートの境界を直接観察することと、駿河湾と伊豆のたどった歴史を調べることの2つである。
夜間の潜航は規則上できないため、潜水艇の準備から母船への格納までの全作業が日中におこなわれる。潜水艇の中にいた時間は6時間程度、実際に駿河湾の底を調査していた時間は4時間弱である。潜水艇はバッテリー駆動であり、電力節約のため暖房は装備していない。したがって、深海での船内気温は5度程度になるため、防寒用のツナギが与えられた。もちろん船内にトイレはないので、非常用の携帯トイレとのセットである。
潜航し始めて数分で周囲は真っ暗になり、その後はライトに照らされたマリンスノーだけが見える闇の世界である。時おり深海魚やクラゲが観察用の丸窓の外をよぎる。まるで、真夜中に懐中電灯1本だけ持って地質調査に出かけたような、もどかしい気分である。しかも、地層が見えても直接手を触れられない。岩石を採取したければ、パイロットに頼んでマジックハンドで取ってもらうしかない。その操作は見るからに難しく、1個の岩石を拾うのにも数分を要する。
潜水を始めて1時間半ほどで駿河湾の底に近づいたが、南からの潮流が0.9ノット(毎秒約50センチ)と速く、操船に苦労しながら水深1850メートルの駿河湾底に到着した。海底表面には、強い潮流の存在を示すリップルマーク(砂の表面にできる波模様)が見られた。こんな深海にも強い潮流があるとは、まるで映画「日本沈没」(1973年)の冒頭シーンのようである。映画の中の潜水艇「わだつみ」は、本連載第7回で紹介した乱泥流(らんでいりゅう)に襲われて遭難しかけるが、幸いに強い潮流との遭遇(そうぐう)は最初だけで済み、「しんかい」は無事に調査を終えることができた。
ちなみに、駿河湾の底は、深海だというのに意外と汚い。タカアシガニの近くをスーパーの買い物袋が漂っていた。
伊豆松崎沖の母船「なつしま」の甲板(かんぱん)上で潜水準備中の「しんかい2000」。