伊豆新聞連載記事(2008年3月2日)
火山学者 小山真人
プレート運動による伊豆と本州との衝突が始まり、両者の間にあった海峡が足柄(あしがら)層群によって埋め立てられつつあった100万年前頃、伊豆でも珍しい事件が起きていた。それは、ごく普通の泥・砂・玉砂利(たまじゃり)からなる地層がたまる現象である。
こうした地層を、ありふれたものと考えてはいけない。伊豆半島をつくる地層のほとんどは、陸上や海底で火山が噴火してできた噴出物であり、ごく普通の土砂からなる地層を見つけることは大変困難である。これは、伊豆が長い間、本州から遠く隔たった海底火山(一部は小さな火山島)であった事情による。こうした土砂は、雨水や風化によって陸地が削られてできる岩の粒子である。それらの粒子が川を流れ、近くの海にたまって地層となる。つまり、泥・砂・玉砂利の地層があるということは、近くに大きな陸地があったことを意味する。玉砂利は、地質学的には円れきと呼ばれ、川を運ばれるうちに摩耗(まもう)して丸くなった小石である。
伊豆半島中北部のごく限られた場所、すなわち伊豆市の大野、城(じょう)、梅木(うめぎ)、筏場(いかだば)などの山中に、こうした土砂がたまってできた地層が存在する。このうち、城と梅木にある泥の地層(横山シルト岩)に含まれる海洋微生物の化石を調べた結果、約120万年前のものであり、水深200〜600メートルの海底に生息していた種であることがわかった。この横山シルト岩の上には、大野れき岩と呼ばれる玉砂利の地層が重なっている。大野れき岩は、河口の近くの海底にできた扇状地の地層と考えられる。つまり、伊豆の一部にやや深い海(入り江)ができた後、すぐに泥や玉砂利での地層で埋め立てられたことがわかる。この推移は、同時期に足柄地域がたどった歴史(深海の急激な埋め立てと陸化)に似ており、やはり伊豆と本州の衝突に関連づけられるものである。
こうした土砂の地層が局部的にたまった以降、伊豆には海に起源をもつ地層がまったく見られなくなり、すべてが陸上火山の噴出物となる。つまり、100万年前頃に伊豆の「最後の海」が消滅し、伊豆全域の陸化が完了したのである。
100万年前頃にたまった泥・砂・玉砂利の地層(熱海層群下部)の分布(図中の灰色部分)。
筏場(いかだば)砂岩の地層。100万年前頃、ここにあった海にたまった砂である。伊豆市筏場付近。