伊豆新聞連載記事(2008年1月13日)

伊豆の大地の物語(20)

地質調査の日々(2)

火山学者 小山真人

 意外に思われるかもしれないが、地質調査は単独でおこなうことが普通である。指導教員に同行してもらったのは、学生時代の全調査日数350日のうち、おそらく10日程度であったろう。それも、ある程度の成果が出てからの確認作業の面が強かった。それまでは、どんなに地質が理解しがたく困っても、自分の力で解決するように命じられた。「野外そのものが教師である」とのお達しであった。もちろん卒業研究を開始する3年生の夏休みまでに、大学の授業として地質調査法の訓練は受けていた。しかし、その対象は観察・理解しやすい砂や泥の地層であったため、火山噴出物ばかりと言ってよい伊豆の地質に対しては、ほとんど役に立たなかった。しかも、それらの噴出物の岩質は多様で、のちの変質や風化によって大きく見かけを変えているものもあり、地層の異同を野外観察だけで判断することが困難であった。そこで、ハンマーを用いて崖から岩をかき取り、持ち帰ってじっくりと観察・比較した。かき取った岩のコレクションは数千個に達した。
 そんな作業を、大学の長期休暇を利用してはくり返した。真夏の調査では、熱射病の危険を避けるために膝まで水につかりながら沢を登り下りし、林道ぞいの調査は曇りや雨の日におこなった。沢や尾根には道がないことが普通なので、イバラやアザミのとげに痛い思いをしながら、ヤブやクモの巣をかきわけて移動した。蚊やハチに追い回されることもたびたびあり、ヘビ・ムカデ・ヒル・イノシシ・漆(うるし)の木などの危険も避けなければならなかった。海岸ぞいの調査では、作業服に工事用ヘルメットの姿のまま、にぎわう海水浴場を通過したこともあった。いったい自分は何をしているのかと思った。真冬の沢ぞいの調査では、痛みをともなう冷たさに耐えながら、川の流れに足を踏み入れた。山頂付近では積雪をかきわけたこともあった。幸いに大きなケガはしなかったが、転倒や滑落も経験した。危険をともなう作業であったから、万が一遭難した場合に備えて、必ずその日の調査予定地域を地形図上に書き込んだものを宿に残して出発した。

川ぞいの崖を調査中の学生時代の筆者。この場所は、今は伊東市の奥野ダム湖底に没してしまった。


もどる