伊豆新聞連載記事(2008年1月6日)

伊豆の大地の物語(19)

地質調査の日々(1)

火山学者 小山真人

 伊豆全体が陸化し半島の形になっていく過程を語る次の物語に入る前に、少しだけ自分のことを話しておこう。筆者が伊豆の地質の研究を始めたのは大学の卒業研究の時であり、もう30年が過ぎようとしている。卒業研究のテーマは、修善寺付近から大見(おおみ)川と冷川(ひえかわ)の流域を経て伊東市の東部にいたる地域の野外調査をおこない、どんな地層がどんな順に重なり、どんな変形を受けているのかを調べることであった。最初に調査に入ったのは1979年の夏、初日に調査したのは伊豆市(当時は中伊豆町)下尾野(しもおの)付近の山中だったと記憶している。
 2年間にわたる卒業研究に続き、大学院での5年間も伊豆の地質研究を継続し、1986年までにのべ350日間を伊豆の山々の野外調査に費やした。調査地域は伊東市・伊豆市・西伊豆町・松崎町・下田市・河津町にまたがる広い範囲に拡大し、主要な沢や林道など、地層が見える場所はほとんどすべて踏破した。この調査結果に加え、周辺の足柄(あしがら)山地や大磯(おおいそ)丘陵での調査結果も総合して、1986年に博士論文を完成させた。
 その後1988年に大学教員の職を得た後は、1989年の伊東沖海底噴火をきっかけに、それまであまり調査していなかった伊豆東部火山群を対象とした噴火史研究に没頭し、1992年と1995年の二編の論文でその成果を公表した。以後は、何かの機会があるたびに、おもに伊豆東部火山群の調査を細々と継続している。
 こうした調査の際の宿泊先として利用したのは、各地(修善寺、沼津市三津(みと)、伊東、湯ヶ島、中伊豆、松崎)のユースホステル(現在は廃業してしまったものも含む)、東京大学下賀茂(しもがも)寮、いくつかの民宿、知人宅などであった。中でも修善寺ユースホステルには、おそらく200泊近くしているだろう。ユースホステルの風呂が改装工事のために入れない時期があって、その間は修善寺温泉の川中にある独鈷(とっこ)の湯を毎晩利用しに行ったことなどが、良い思い出となっている。学生時代の調査の交通手段として常に用いたのは、愛車のバイクであった。

学生時代の筆者。バイクで調査地に向かう途中、仁科峠に立ち寄った時のもの。


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