伊豆新聞連載記事(2010年3月7日)

伊豆の大地の物語(132)

大地と共に生きる(6)火山の恵み(上)

火山学者 小山真人

 火山の恵みの中でもっとも重要と言ってもおかしくないのに、意外と見落とされがちなものがある。それは平坦な土地をつくる作用である。たとえば、伊豆東部火山群が存在しなかった場合の地形がどうなっていたかを想像すると、その恵みの偉大さが容易に理解できる。本連載の第85回で説明したように、大室山から流れ出た溶岩が周囲にあった地形の凹凸を埋め立てて伊豆高原をつくり、相模湾に流れこんで城ヶ崎海岸をつくった。空から城ヶ崎海岸を見ると、まるでソテツの葉のように溶岩流の先端が枝分かれして海に向かい、陸地の面積を増やしていった様子がわかる。この写真から溶岩流を取り去った後の地形を想像してほしい。城ヶ崎海岸とその背後の平地は消え、海岸線が2キロメートル以上後退してしまう。さらに、伊豆高原も狭く険しい山地に姿を変え、現在のような日当たりの良い別荘地は築けなかったに違いない。
 大室山の他にも、小室山や梅木平(うめのきだいら)、門野(かどの)、荻(おぎ)などの多数の火山が次々と溶岩を流し、伊東市南部の地形を平坦にするための大造成工事をおこなってきた。この造成工事がなければ、伊東市は山の急斜面と海岸にはさまれた寒村となり、現在のような発展は望めなかっただろう。伊豆東部火山群が噴火し、せっせと溶岩を流してくれたおかげで、陽光が降りそそぐ広い土地がつくり出され、多くの市民と観光客がつどう場所となったのだ。
 こうした火山の作用は、伊豆東部火山群だけにとどまらず、さらに古い時代の火山たちも綿々と営んできたことである。狩野川や大見川の流れる谷や平野が広々としているのは、伊豆東部火山群に加えて天城山を始めとする陸上大型火山群(本連載の第32-33回参照)が大量の土砂を供給し続けたおかげである。伊豆市と西伊豆町の境界付近の高原では、その平坦な地形を利用して酪農(天城牧場)が営まれているが、この地形は猫越(ねっこ)火山(第37回参照)の溶岩流がつくったものである。修善寺自然公園や「虹の郷(さと)」やラフォーレ修善寺などのゴルフ場が立地する伊豆市西部の広大な丘陵地は、達磨(だるま)火山の溶岩流によって作られた。伊豆最南端の石廊崎の西にあるユウスゲの花咲く小さな高原も、南崎(なんざき)火山の溶岩流がつくった地形なのだ(第38回参照)。こうした例は挙げていけば数えきれないほどある。

相模湾上空から見た伊豆高原と城ヶ崎海岸。写真中央のやや右上に見えるプリン形の丘が大室山。大室山の手前に広がる高原が伊豆高原。写真手前のぎざぎざの海岸が城ヶ崎海岸。左上の山は天城山。


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