伊豆新聞連載記事(2010年1月24日)

伊豆の大地の物語(126)

生きている伊豆の大地(28)伊東沖海底噴火(4)

火山学者 小山真人

 1989年(平成元年)7月13日の伊東沖海底噴火は地元の社会に大きな衝撃と恐怖を与えたとはいえ、その後の推移はあらゆる面で幸運と言えるものであった。まず、海面上に噴煙が見られた時間は噴火当日のわずか10分弱であった。海底での噴火を示すとみられる火山性微動も、7月11日〜21日のほぼ10日間で終了した。地殻変動から概算して2000万立方メートルほどのマグマが上ってきたにもかかわらず、噴出した量はそのうちの100分の1程度であり、しかも海底に出たために陸上への被害が全くなかった。
 本連載の第98回で述べたように、伊豆東部火山群では中心部に安山岩・流紋岩マグマの噴出する領域があり、そこでの噴火は大規模・爆発的になりやすい。しかしながら、伊東沖噴火は火山群周縁部の玄武岩領域で起きたために、小規模かつ比較的穏やかな噴火となったことも幸運であった。さらには玄武岩質とはいえ、海底噴火は大量の水と熱いマグマが直接触れ合うため爆発的となり、火山灰まじりの爆風である火砕(かさい)サージや、最悪の場合には津波を引き起こす可能性もあったが、そういう事態にもならなかった。
 さらに、噴火が長引く可能性もあった。たとえば、伊東沖とそっくりな海底噴火を起こした例として、アイスランド沖で1963年11月から始まったスルスエイ(スルツェイ)火山の噴火が有名である。この噴火は、海底にできた割れ目火口から突然始まり、当初は爆発的な噴火をくり返し、翌日の夜に早くも噴出物が積もって島が誕生した。以後も噴火は続き、3年かけて3つの火山島とひとつの海底火山を成長させた。このうちの最大のスルスエイ島では陸上に溶岩を流す噴火が1967年まで継続し、現在も直径1500メートル余り,最大標高154メートルの立派な島として残っている。
 つまり、悪い可能性を考えれば、伊東沖噴火も数年続いた上に、そこに新しい火山島が誕生してもおかしくなかった。火砕サージや津波が市街地を襲って被害を与える可能性も十分あった。さらには噴火場所が伊東沖ではなく伊豆東部火山群内のどこかの陸上だったとすれば、市街地の中に突然火山が誕生する可能性もゼロではなかった。つまり、伊豆の住民はおよそ2700年ぶりの噴火に立ち会ったとはいえ、きわめて幸運であった。この幸運に心から感謝するとともに、次の噴火に備える猶予が与えられたと謙虚に考えるべきなのである。

伊東市の汐吹(しおふき)崎と手石(ていし)島。手石島の右手奥で1989年7月の海底噴火が起きた。


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