伊豆新聞連載記事(2010年1月10日)

伊豆の大地の物語(124)

生きている伊豆の大地(26)伊東沖海底噴火(2)

火山学者 小山真人

 1989年(平成元年)6月30日から始まった規模の大きい群発地震の震源域は、伊豆東方沖群発地震としてはもっとも北西寄りの、まさに伊東温泉街の沖と言ってよい場所にあり、震源の深さも大多数が5キロメートル以内と浅かった。7月9日にはマグニチュード5.5の最大地震が起き、伊東市内に石垣の崩壊などの被害を与えた。その群発地震がほぼ収まりかけた2日後の7月11日夜から翌朝にかけて、伊東市内の地震計が断続的に記録した大きな震動は、推移を見守っていた専門家たちに強い衝撃を与えるものであった。それは、通常の地震波形ではなく、火山性微動(びどう)の波形だったからだ。火山性微動とは、火山の地下でマグマなどの流体が動くときに発生すると考えられている特徴的な震動であり、通常の地震よりもゆっくりと揺れ、始まりと終わりが明確でない。噴火直前や噴火中にしばしば発生する。
 この微動発生の知らせによって緊張感が一気に高まり、翌12日に火山噴火予知連絡会の拡大幹事会が緊急招集される事態になった。この時点までの伊豆東方沖群発地震は、おもに地震学者が観測・研究していたため、その活動評価も地震予知連絡会が取り扱っていた。つまり、火山学者が主体の火山噴火予知連絡会の招集は、そのことだけでも異常事態を意味していたのである。会議後に、火山噴火予知連会長は「微動は地下のマグマの活動による可能性がある」とコメントしたが、専門家の間では海底ですでに噴火が始まっているのでは、という憶測も流れた。
 海上保安庁は、7月13日に測量船「拓洋(たくよう)」を伊東沖に派遣して群発地震域の海底調査を始めた。あたりが薄暗くなった18時33分頃、拓洋の乗員たちは船底をハンマーで何度も叩かれるような衝撃と大音響に気づいた。恐怖にかられた彼らの目に飛び込んだのは、1キロメートルほど離れた海面上に吹き上がった黒い噴煙であった。有史以来初の伊豆東部火山群の噴火が目撃された瞬間である。噴煙は、水とマグマが触れあって爆発した時に生じる特徴的な鶏尾(けいび)状噴煙と呼ばれるもので、5回吹き上がり、最大のものは直径が230メートル、海面からの高さが113メートルに達した。噴火地点は、拓洋がほんの7分ほど前に上を通過した場所である。つまり、彼らはわずか7分の差で噴火の直撃による遭難を免れたのである。この噴煙は伊東市内の海岸各所からも遠望され、目撃した人々を混乱におとしいれた。

1989年6月末〜7月の群発地震の震源分布と手石海丘(伊東沖海底噴火を起こした火山)の位置。震源は気象庁の地震カタログによる。


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