伊豆新聞連載記事(2010年1月3日)

伊豆の大地の物語(123)

生きている伊豆の大地(25)伊東沖海底噴火(1)

火山学者 小山真人

 これまで伊東付近で起きる群発地震や異常隆起の原因をマグマ活動と断定して説明してきた。伊東沖海底噴火後の今では、このことに疑いをはさむ人はいないが、もちろん最初から地下のマグマが原因とわかっていたわけではない。元東大教授・久野久(くのひさし)(本連載の第34、103回も参照)は、1954年に出版された論文の中で1930年伊東群発地震のマグマ原因説を早くも主張したが、伊豆市冷川(ひえかわ)付近で異常隆起が観測され始めた1970年代後半には、地下の断層が地震を起こさずにゆっくりとずれたために隆起が起きたと考える人もいた。しかし、1978年以来、毎年のように川奈崎沖で伊豆東方沖群発地震が起き、それに連動した伊東市南部の異常隆起が観測されるようになると、単純な断層説では説明がつかなくなった。異常隆起の中心地は、群発地震の発生場所ではなく、いつもその南西隣りだったからである。
 これらの観測データをすっきりと説明できたのが、板状のマグマ(岩脈)が川奈崎沖の地下に押し入ったとする説である。この説は、1988年頃までに多くの研究者に信じられるようになった。つまり、1989年7月13日の伊東沖海底噴火を待たずに、伊東沖の群発地震を起こす黒幕の正体はマグマだと判明していたのである。
 1989年6月30日から始まった群発地震はとくに規模の大きいものであり、その震源域は陸寄りの、まさに伊東温泉街の沖と言ってよい場所であった。当時の私は、静岡大学理学部助手になりたての身であり、最初に指導した学生のひとりが伊東市宇佐美付近の地質を卒業研究のテーマとして調査中であった。この頃の私は、まだ火山学の研究にのめり込んでいたわけではなく、伊豆東部火山群についても他人の論文で得た知識しか持っていなかった。それにもかかわらず、7月になって調査地に行こうとしていた学生に対し、私は「最悪の場合、宇佐美の沖で海底噴火が生じる可能性があるから十分注意するように」と伝えたことを、今でもよく覚えている。つまり、伊東沖で海底噴火が今後起きたとしてもおかしくないという認識が、1989年の前半時点で、少なくとも伊豆の地震・火山に関心をもつ研究者の間に広まっていたのである。こうした研究者側の意識が、地元の行政や住民にもっと事前に伝わっていればと思うと残念でならない。

海底噴火前年の1988年に起きた伊東付近の群発地震と異常隆起を、伊東沖の地下に押し入った板状マグマ(岩脈)によって説明した図(海底噴火に先立つ1989年春に国土地理院の研究者(多田と橋本)が発表したもの)。川奈崎沖の群発地震と伊東市南部の異常隆起の両方を説明できる。


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