伊豆新聞連載記事(2009年12月27日)

伊豆の大地の物語(122)

生きている伊豆の大地(24)歴史の中のマグマ活動(5)

火山学者 小山真人

 1930年2〜5月の伊東群発地震にともなって発生した伊東付近の異常隆起は、群発地震活動が完全におさまった後も、さらに同年11月の北伊豆地震(マグニチュード(以下、M)7.3)が起きた後も終息せず、少なくとも1933年初めまで引き続いた。つまり、群発地震の終了後も、伊豆東部火山群のマグマ活動が静かに進行したのである。ただし、当時の測量は海岸ぞいのみで行われたので、隆起の中心がどこにあったかは判然としない。その後、隆起は沈降に転じ、伊東の大地は1970年代前半までゆっくりと沈み続けた。本連載の第107回でも書いたように、この期間は伊豆の地震活動も全体的に静穏であった。
 この静寂が1974年5月の伊豆半島沖地震(M6.9)によって破られた後、1975年初めから伊東で再び異常隆起が観測され始めた。マグマが目を覚ましたのである。おそらく本連載の第117回で述べたいずれかのメカニズムが働き、大地震が眠っていたマグマに刺激を与えたためと考えられる。隆起域の中心は伊豆市冷川(ひえかわ)付近にあることがわかり、「冷川付近の異常隆起」などと呼ばれるようになった。その量は、1977年末までに15センチメートルに達した地点もある。ただし、隆起域付近に群発地震は起きず、むしろその外側の天城山から東伊豆沖にわたる広い範囲で散発的に小地震が起き続けた。
 その後、1978年1月に東伊豆町と伊豆大島の間の海底を震源域として伊豆大島近海地震(M7.0)が発生した。この地震は、石廊崎断層を震源とした伊豆半島沖地震よりも北東の、伊豆東部火山群の分布域の南端付近で生じたから、より大きな影響をマグマに与えたと考えられるが、具体的なことは未解明である。
 しかし、結果として起きたことは伊東市民にとって重大であった。1978年11月から川奈崎沖で群発地震が起きはじめたのである。「伊豆東方沖群発地震」の名で呼ばれることになった現象の始まりであった。この最初の群発地震から2009年末までの31年間で、小規模なものまで含めると計46回の群発地震が川奈崎沖で起きている。そして、川奈崎沖の群発地震の開始とともに、異常隆起域の中心も冷川付近から伊東市南部に移動したことが判明した。この隆起域の場所は、その後ほぼ固定された状態で現在を迎えている。マグマが地表への通路を本格的に模索し始めた結果であった。

1974年から1978年頃までの主な地震の震源域(灰色)と異常隆起の範囲(10センチメートル以上隆起した部分:ピンク)。黒丸は伊豆東部火山群。細い実線は400mごとの等高線と等深線。


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