伊豆新聞連載記事(2009年12月20日)

伊豆の大地の物語(121)

生きている伊豆の大地(23)歴史の中のマグマ活動(4)

火山学者 小山真人

 1930年(昭和5年)の2月から5月にかけて、伊東付近ではっきりとした群発地震があったことがよく知られている。後に「伊東群発地震」と呼ばれるようになった事件である。2月13日の夜から有感地震が始まり、2月後半から3月にかけて(第1期)と、5月(第2期)の2度の地震回数の高まりがあった。伊東港から川奈にかけての沖合に震源が集中したことや、付近の地盤が最大20センチほど隆起したことが測量によって判明するなど、その特徴が1978年以降の伊豆東方沖群発地震とそっくりである。このことから、1930年伊東群発地震は、現代の伊豆東方沖群発地震と同様に、伊豆東部火山群のマグマが地下に押し入ったことが原因とみられている。
 ただし、その規模はケタ違いに大きかった。1978年以降の群発地震の継続期間の多くは1ヶ月以内であり,有感地震回数は最多の1989年6〜9月(伊東沖海底噴火をともなった群発地震)でも総計494回に過ぎない。マグニチュード(M)5以上の地震回数は、1回の群発地震につき2回以内である。これに対し、1930年伊東群発地震は、小康期間があったとはいえ3ヶ月以上の長きに及んだ上に、有感地震の回数は2〜5月で何と4015回に達し、M5以上の地震(最大はM5.9)が10回以上にも及んだ。1978年以降の群発地震しか経験していない人にとっては想像を絶するほどの、活発なマグマ活動が過去に起きていたのである。また、先に述べた隆起量20センチは、1978年以降の伊豆東方沖群発地震にともなう総隆起量のほぼ半分にあたる。
 こうした地震や隆起量の規模の差は、1930年の群発地震時に地下へ押し入ったマグマの量がケタ違いに大きかったこと(2億立方メートル程度)によるものと考えられている。1978年以降のマグマ量は、1回の群発地震につき、最大でも2000万立方メートル程度に過ぎない。
 こうした大規模なマグマ活動であったにもかかわらず、1930年伊東群発地震は、幸いなことに噴火を起こすまでには至らなかった。しかし、影響は別の面に現れた。伊東付近の地下に押し入ったマグマは、伊豆北東部の地殻を北に押しやり、同じ年の11月26日に起きた北伊豆地震(M7.3)(本連載の第104回参照)を誘発したとみられている。

歴史時代の伊豆で起きた群発地震のリスト(候補も含む)。5と6は伊東沖の群発地震であることが確実。3と4もその可能性が高い。ただし、幕末以前の伊豆の歴史記録自体に欠落が多いので、リストにも不備があると考えてほしい。


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