伊豆新聞連載記事(2009年12月6日)
火山学者 小山真人
今回も、伊豆東部火山群のマグマ活動の候補を歴史記録の中から探し、その真偽を検討していこう。
本連載の第106回でも紹介した沼津市大平(おおひら)地区に伝わる『大平年代記』に、1770年9月17日(原文には日付誤記があるため修正済み)の夜に北北東の空が異常に赤く、火柱のようなものがいく筋も空へ吹き上がるように見えたと記されている。同様な現象が、東海道原宿(現在の沼津市原)の土屋家に伝わる絵図にも描かれている。まるで火山の噴火を遠望したようにも思える。しかし、同日の夜に日本の広い範囲で同じ現象が記録されていることから、特定の場所での噴火ではなく、赤い火柱の正体はオーロラだと考えられている。
実は、太陽活動の激しい時には日本のような中緯度地域でも赤いオーロラが観測されることがあり、古来より「赤気(せっき)」の名で知られていた。最近では2003年10月30日夜に北海道などで肉眼観察された例がある。通常のオーロラは緑色をしているが、その上部は赤味を帯びることがある。日本から見ると、下部の緑色部分は地平線に隠れて見えず、上部の赤色部分だけが遠望されるのである。
同じ『大平年代記』に、1779年4月15日から震動が昼夜やまずに少なくとも1週間続いたことが記されている。この震動の正体は1777年から続いていた伊豆大島の噴火かもしれないが、現時点では不確実である。
また、同じ年の11月10日(安永八年十月三日)に「土雨」が降って、翌朝は草木の葉が白く薄霜の降りたようになり、畑も灰をまいたようになったとの記述がある。この現象は他の地域でも記録されており、その分布図を描くと桜島に原因を発したものであることがわかる。つまり、その前々日から始まった桜島の安永噴火の噴煙がはるばると伊豆の上空に達し、そこからの降灰があったのである。本連載の第55〜57回や69回で述べた九州起源の火山灰が、歴史時代の伊豆にも来ていたのだ。ただし、微量であったために、現在の伊豆でこの火山灰を見つけることは困難である。
なお、大正時代に編集された『小室村誌』(旧小室村は、現在の伊東市川奈・吉田・荻・十足(とおたり)の4地区を併せた範囲)にも同時期の降灰記録があるが、安永八年ではなく安永六年十月三日とある。この「六」は「八」の誤記かもしれないが、はっきりしたことは不明である。
数々の自然現象記述を含む『大平年代記』が書かれた沼津市大平地区。右手奥に見えるのは富士山と愛鷹山。