伊豆新聞連載記事(2009年11月15日)

伊豆の大地の物語(116)

生きている伊豆の大地(18)噴火の幻

火山学者 小山真人

 吉村昭の小説「落日の宴(うたげ)」は、幕末の下田でロシアとの開国交渉にあたった川路(かわじ)聖謨(としあきら)を主人公として描いた作品である。川路が対峙したロシア提督プチャーチンとその一行は、戦艦ディアナ号に乗って下田に来航していた。第一回交渉がおこなわれた翌日の1854年12月23日(旧暦十一月四日)に安政東海地震(本連載の第100回参照)が発生し、下田港を襲った津波によってディアナ号は大破し、自力航行不能となった。その五日後、プチャーチンは川路たちに「一昨夜、艦上から遠く伊豆の山に火が噴き上げるのを望見したので、もはや地震と津波が起こる恐れはなく、安心なされ」と伝言した。
 「落日の宴」にあるこの記述は、川路自身が書き残した『下田日記』によるものであり、原文は「一昨夜伊豆の山より火気上昇したり、もはや地震・つなみの気遣はなしと申来る。御安心成さるべし」である。この当時の西洋世界では、地震の原因が地下の断層運動であることはまだ解明されておらず、漠然と「地中にある火気(硫黄の気)」が起こすものと信じられていた。プチャーチンは、地震の原因である火気がもれたので、もはや地震や津波が起きないと考えたようである。
 では、この「火気」の正体はいったい何だったのだろうか? もっとも単純な解釈は火山の噴火である。しかし、前回も述べたように下田周辺に新しい時代の火山の存在は知られていない。また、下田に滞在していた奉行のひとり村垣範正は、幕府への報告のため大地震の二日後に下田を発ち、その夜は河津町梨本、翌日は天城峠を越えて伊豆の国市の原木(ばらき)に宿している。つまり、村垣は伊豆東部火山群の分布域の中を通過しているが、地震の被害や余震の記述以外に、火山噴火に関係しそうな異常現象を何も記録していない。そもそも幕府側の人間は、誰も「火気」を目撃していないようである。こうしたことから、プチャーチンが見た「火気」は火山の噴火とは考えがたく、それが事実であったとしても山火事や野焼き等の他の原因による可能性が高いだろう。
 なお、その後ディアナ号は修理のために戸田(へだ)に回航する途中で強風にあい、富士市の沖まで流され、最終的には沈没してしまう。船を失ったロシア人一行は、その後戸田の船大工がつくった「ヘダ号」によって帰国することとなった。

下田港から見た風景。右側の山は寝姿(ねすがた)山、左側の三角形の山は下田富士。どちらも二百万年前よりも古い「火山の根」(本連載の第17回)が浸食で洗い出されたものであり、火山体そのものではない。


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