伊豆新聞連載記事(2009年11月8日)
火山学者 小山真人
下田市の白浜神社は、伊豆の「プリオシン海岸」として本連載第12回で紹介した白浜海岸に鎮座する神社である。この神社の祭神は「伊古奈(いこな)比v(ひめ)神」である。この女神に関して、平安時代の初期に不思議な事件があったことが、『日本後紀(こうき)』という書物に記録された。その原文自体は長い歴史の中で失われてしまったが、幸いにして別の書物に引用されて現存している。それによれば、伊古奈比v神は天長(てんちょう)九年(西暦832年)に深い谷をふさぎ、高い岩を砕き、二千町(約2400ヘクタール)もの平地と2つの「院」(おそらく小さな丘)と3つの池を作った。当時の朝廷は、この荒ぶる女神の怒りを鎮めるために、伊古奈比v神と三島神の2人を「名神(みょうじん)」(国が別格の神社として祭る)と定めた。三島神は伊古奈比v神の夫であり、三島市の三島大社の祭神である。
この「深い谷をふさぎ…」の記述は、おそらく火山噴火を描いたものに違いない。なぜなら、火口からあふれ出した溶岩が谷を埋めて流れ、海岸に達して溶岩扇状地(せんじょうち)をつくることは、噴火時にありがちな事件だからである。また、火口の周囲に小火山(本連載で何度も述べてきたスコリア丘など)がつくられ、火口に水がたまれば湖や池ができる。割れ目噴火が起きれば小火山や小火口が並ぶことになる。
では832年に伊豆半島で火山噴火があったのだろうか? もしそうなら、1989年7月の伊東沖海底噴火は、伊豆での有史以来初の噴火ではなかったことになる。しかし、白浜神社付近に新しい火山は見つかっていないし、伊豆東部火山群の陸上での最新の噴火は、第95回で述べた約2700年前の岩ノ山-伊雄山(いおやま)火山列のものと考えられている。
832年事件の真相を知るヒントは、白浜神社の歴史の中にある。歴史学者たちの研究によれば、伊古奈比v神は、かつて三島神とともに三宅島に祭られていて、後に両者ともに白浜神社に祭られ、さらに後に三島神だけが三島大社に祭られるようになった。つまり、神様の居場所が移動したのである。さらに火山学的なデータも加えることによって、832年の噴火は、両神が当時祭られていた三宅島での出来事(北斜面での割れ目噴火)と解釈されている。
なお、この話には後日談があって、6年後の838年に起きた神津島の大噴火は、三島神と伊古奈比v神の2人が名神となったことに腹を立てた阿波神(三島神の本妻)のしわざとされている。その事情を占いによって知った朝廷は、あわてて阿波神も名神に指定したのである。
下田市の白浜神社。