伊豆新聞連載記事(2009年11月1日)

伊豆の大地の物語(114)

生きている伊豆の大地(16)西に傾く半島

火山学者 小山真人

 伊豆の南部を訪ねた注意深い旅人は、半島の東側と西側での奇妙な地形の差異に気づくことだろう。たとえば、下田から婆娑羅(ばさら)峠を経て西海岸の松崎に至る県道を走ると、下田市加増野(かぞうの)あたりまでの前半15キロメートルほどは、稲生沢(いのうざわ)川がゆったりと流れる平地がえんえんと続く。ところが、加増野から短い坂を登り、婆娑羅トンネルを越えた後の風景は一変する。大沢温泉までの約5キロは険しい山あいの道となり、大沢から松崎海岸までの残り約5キロだけが那賀川の流れる平地となる。
 同様な地形の変化は、南伊豆町の弓ヶ浜から下賀茂を経由して西海岸の妻良(めら)を目指した時に、より極端な形で見られる。全行程の9割にあたる弓ヶ浜から立岩までの約10キロメートルは、青野川とその支流がゆるやかに流れる平地であるのに対し、妻良トンネルを抜けた後は、妻良の港までの1.5キロを一気に駆け下る急坂となる。
 つまり、南伊豆の地形は、東側がなだらかで海岸までが遠く、西側が急で海岸が近い。こうした東西の非対称は、地質や岩石の違いによってできる場合もあるが、南伊豆の地質はほぼ一様(多くは本連載の第12〜18回で説明した白浜層群)なので、別の説明が必要である。
 この謎を考えるヒントとなるのは、前回述べた海岸地形が語る伊豆東海岸の隆起である。もし、東海岸が徐々に隆起し、逆に西海岸が沈降していたとすれば、地形にどのような影響が表れるだろうか? 西海岸の平野は駿河湾に没していき、山の西斜面の傾斜も増していくだろう。逆に、東海岸の平野は相模湾側へと成長し、山の東斜面の傾斜は緩くなっていく。
 この推定を裏づけるデータがいくつか得られている。稲生沢川、青野川、伊東大川などの東海岸に注ぐ川ぞいにはかつて入り江があったが、この入り江にたまった地層の最上部は、現在の海面より高い位置にある。これとは逆に、松崎付近の同じ地層の高度は、現在の海面よりも低い。さらに、伊豆半島の海岸ぞいには、かつての海岸平野のなごりである平坦面(海岸段丘(だんきゅう))が数段認められるが、同じ時期にできた平坦面の高さは、相模湾側で高く、駿河湾側は低い。
 こうした事実から、伊豆の東海岸は隆起し、西海岸は沈降しつつあると考えられている。つまり、伊豆半島は徐々に西に向かって傾いているのである。この傾きの原因は、おそらく駿河湾でのプレートの沈み込みであろう。伊豆はプレートの移動とともに、駿河湾の深みへゆっくりと引きずり込まれているのである。

伊豆南部の地形のできかた。仮に東西幅10キロメートル、高さ500メートルの陸地があったとする。それが西側に2゜傾いた場合の海岸線や斜面の変化を示す。


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