伊豆新聞連載記事(2009年10月25日)

伊豆の大地の物語(113)

生きている伊豆の大地(15)海岸地形は語る

火山学者 小山真人

 前回までに述べた構造回転やマイクロプレートの動きは、壮大ではあるが長い時間をかけて進行するため、人間の目から実感することは難しい。しかし、私たちの見慣れた風景の中に、過去の大地の動きが記録されることもある。
 海岸の波打ちぎわを歩くと、特徴的な地形を目にすることがある。波食(はしょく)台(ベンチ)と波食窪(ノッチ)である。波食とは「波が削る」という意味であり、波食台・波食窪はその名の通り、波の浸食によってできた平坦面とへこみのことである。海岸の崖は、波によって削られることによって徐々に陸側に後退し、後退した後にはベンチがつくられてゆく。後退しつつある崖の底部には、波によってえぐられたノッチがある。ベンチとノッチは、引き潮の際に磯浜の波打ち際に行けば見つけることができる。満潮や高波の際にベンチは海面下に隠れ、ノッチの場所にまで波が打ち寄せる。
 ところが、伊豆の東海岸をよく調べると、満潮時でも波の来ない高い位置にベンチやノッチが見られる。このことは、現在よりも海面が高い時代にこれらの波食地形ができたか、あるいはできた後に陸地そのものが隆起したことを意味する。およそ7000年前ころの縄文時代には、温暖化によって現在よりも海面が3メートルほど高かったことが知られている。したがって、この時期にできた波食地形が、その後の海面低下によって高い位置に残された可能性もあるが、それを証明するためには波食地形ができた年代を知る必要がある。
 波食地形そのものは単なる岩の凹凸であるから、その年代を直接調べることは困難である。しかし、岩のへこみには貝・フジツボ・ゴカイの仲間などの石灰質の殻をもつ生物がへばりつくことがある。こうした殻の年代は、本連載の第90回で説明した放射性炭素年代測定法で調べられる。これまでの研究によれば、伊豆の東海岸のノッチにへばりついた化石の年代は、いずれも7000年前より若く、しかも高度と年代の異なる2層が認められている。このことは、伊豆の東海岸が7000年前以降2回、地震によって段階的に隆起したことを意味している。しかしながら、こうした地震の規模、震源となった断層の位置、くりかえし間隔などは、実はまだよくわかっていない。防災上は、下田から伊東までの沖合のどこかの海底に、正体不明の活断層が眠っていると考えておくのが無難である。

波食地形の例。人が立っている平らな面がベンチ、右側の2人の背後にあるえぐれた部分がノッチ。伊東市汐吹(しおふき)崎付近。こんなありふれた海岸地形にも大地の動きが隠されている。


もどる