伊豆新聞連載記事(2009年9月20日)

伊豆の大地の物語(108)

生きている伊豆の大地(10)活断層の国

火山学者 小山真人

 伊豆半島には、前回までに述べた丹那(たんな)断層や石廊崎(いろうざき)断層のほかにも、数多くの活断層の存在が知られている。このうち、歴史上の大地震で活動したことがわかっているのは、1930年北伊豆地震の際の丹那断層・姫之湯断層を含む一連の断層群、ならびに1974年伊豆半島沖地震の際の石廊崎断層のほかには、1978年伊豆大島近海地震で動いた稲取付近の3本の断層だけである。ただし、伊豆大島近海地震の主断層は、伊豆半島と伊豆大島の間の海底下にあり、稲取付近のものは副次的な断層に過ぎない。他の活断層については、明治以前の伊豆の歴史記録が乏しいこともあって、活動史はほとんどわかっていない。
 石廊崎断層の北に並行する形で、南伊豆町蛇石(じゃいし)付近から下田市の田牛(とうじ)付近へと伸びる上賀茂(かみがも)断層がある。この地域の地震記録はきわめて限られているが、江戸時代の1729年(享保十四年)3月8日に下田市や南伊豆町に被害を与えた地震が知られている。この地震の震度分布は1974年伊豆半島沖地震と似ており、マグニチュード7級の地震と考えられる。一方、石廊崎断層の活動間隔は1000年程度と考えられているため、1729年地震の犯人とは考えにくい。このため、上賀茂断層が1729年地震を起こした活断層として疑わしい。
 松崎町の門野(かどの)付近には、北東-南西方向に伸びる門野断層がある。この断層は、活断層としてはこれまでほとんど注目されていないが、地質学的には明確かつ重要な断層であり、しかも断層周辺には地震によって崩壊したと思われる大きな地すべり地形が多数残されている。それらがいつの時代のものであるかも含めて、断層の活動史の解明が急務と思われる。
 伊豆市湯ヶ島付近の水抜(みずぬき)から与市坂(よいちざか)にかけて北西-南東方向に伸びる水抜-与市坂断層も地質学的に明確・重要であるが、活動史が全く不明なので、門野断層と同様に注意が必要である。
 伊豆の活断層の分布を見ると、丹那断層の東側にある北西-南東方向の活断層の密集帯が特に目を引く。丹那断層と伊東-熱海間の海岸線との間の地殻が、まるで短冊(たんざく)のように細かく切り刻まれている。この構造がどのようにしてできたかについて、次回から述べていこう。

伊豆半島の主な活断層。赤い太線が活断層として認定されているもの(けばの付いたものが正断層で、それ以外が横ずれ断層)。なお、活断層の証拠はまだ得られていないが、筆者の地質調査によって判明した主要な断層を黒い細線で示した。


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