伊豆新聞連載記事(2009年9月13日)
火山学者 小山真人
20世紀前半の伊豆周辺は、1923年大正関東地震(マグニチュード(M)7.9)を始めとして、1930年伊東群発地震(最大の地震はM5.9)、1930年北伊豆地震(M7.3)などの被害地震があいつぐ激動の時代であった。ところが、1934年の天城山の地震(M5.5)を最後に伊豆の地震活動は静穏になり、それ以後40年ほどの間は目立った地震が起きていない。
伊豆の大地が長い眠りから覚めたのが、1974年5月9日朝の伊豆半島沖地震(M6.9)の時である。この地震は、南伊豆町を中心とした地域に死者30名、全壊家屋134棟という大きな傷跡を残した。この地震を起こしたのは、石廊崎(いろうざき)断層と呼ばれる活断層である。地震名に「伊豆半島沖」とあるが、これは当初の震源決定精度の悪さのために付いた名前であり、実際の震源域は南伊豆町石廊崎付近の陸上にあった。地震にともなって石廊崎断層沿いに50センチメートルほどの横ずれが生じ、中には民家の裏の崖に断層のずれが出現した地点もあった。
1930年北伊豆地震の直後の調査によって丹那(たんな)断層のずれが発見されたように、当初は地震の発生後に、その地震の犯人である活断層が発見されることが普通であった。しかし、石廊崎断層の場合は違っていた。活断層としての石廊崎断層を発見した論文は、伊豆半島沖地震の前年の1973年に出版されていた。つまり、伊豆半島沖地震は、事前に発見されていた活断層が地震を起こした初めての例となったのである。
地震の発生前に、石廊崎断層を活断層として判定できた最大の根拠は、断層に沿う地形の特徴である。断層周辺の地形を観察すると、まず誰もが断層に沿う直線状の谷間に気づく。しかし、このことだけでは証拠として不十分である。古い断層や地層の固さの違いによっても、直線状の谷間が生じる例があるからである。石廊崎断層を活断層として判定できたのは、断層に沿う3ヶ所で、同じ方向に200ないし300メートルほど尾根がずれていたためである。
伊豆半島沖地震がきっかけとなって伊豆は再び激動の時代を迎え、その後1976年河津地震(M5.4)、1978年伊豆大島近海地震(M7.0)、1978年以降の伊東沖群発地震、1980年伊豆半島東方沖地震(M6.7)などの被害地震がくり返された。
空から見た石廊崎断層。断層は、一対の白い矢印が示す直線状の谷間に沿って走っている。3ヶ所の尾根(白い破線)が、断層によってすべて同じ方向にずれている。国土地理院の空中写真を使用。