伊豆新聞連載記事(2009年9月6日)
火山学者 小山真人
丹那断層が起こす大地震のくり返し間隔を知るための発掘調査は、丹那盆地2ヶ所のほか、その北隣の田代盆地などの、北伊豆地震にともなう断層のずれが実際に地表に現れた場所でおこなわれた。このうち、最もめざましい成果が得られたのが丹那盆地北縁での調査である。
活断層の発掘調査は、その名の通り、断層を含む一定範囲の地面をパワーショベルなどで直接掘り下げる方法によっておこなわれる。丹那盆地北縁の調査地では地表から6メートルの深さまでの地層が発掘された。そして、そこには、予測通り丹那断層によるずれが実際に観察できたのである。そして、前回説明した方法によって全部で9回の大地震の証拠と、それらの発生時期を割り出すことができた。
まず、9回のうちで最も新しい地震は言うまでもなく1930年北伊豆地震である。2番目に新しい地震は、後に北隣の田代盆地の発掘調査でも証拠が見つかり、13世紀末から17世紀初めまでの間に発生したことがわかった。この時期は、伊豆での歴史記録が乏しい中世にあたり、該当しそうな地震は沼津市大平(おおひら)地区に伝わる『大平年代記』に記された1402年の記述のみである。ただし、この記録は、地震で畑に地割れができたことだけを記す簡単なものであり、中世の北伊豆地震の記録かどうかは未確定である。
3番目に新しい地震の発生時期は841年と特定できた。まず、発掘された地層の中に伊豆七島神津島の838年の大噴火で降りつもった火山灰層が見つかり、噴火から間もないうちに大地震が起きたことがわかった。この神津島の噴火を記した書物は、当時の朝廷の手によって編集された『続日本後紀(しょくにほんこうき)』である。そして、その後の文面をたどっていくと伊豆での地震被害の記述が見つかり、841年の春頃に大地震があったことがわかった。具体的な被害の場所は書かれていないが、詳しい救済の記述があることから、おそらく当時の伊豆国の中心部、つまり北伊豆地方が被害の中心と予想され、丹那断層の起こした地震と考えるのがもっともらしい。
このようにして、過去8000年間に9回の地震があったことがわかり、丹那断層は平均1000年間隔で大地震を発生させてきたことが判明した。比較的発生頻度の高い過去3回だけを考えても平均540年間隔となる。最後の北伊豆地震からまだ80年しか経っていないので、丹那断層はあと500年ほどは大地震を起こさないと言えるだろう。
丹那断層の発掘調査。丹那盆地の中央部で1985年に実施されたもの。遠景は池の山峠。