伊豆新聞連載記事(2009年8月16日)

伊豆の大地の物語(103)

生きている伊豆の大地(5)丹那断層(2)

火山学者 小山真人

 丹那断層の驚くべき秘密を最初に見抜いた人間は、本連載の第34回にも登場した久野久(くのひさし)(後の東大教授)である。付近の多賀(たが)火山や湯河原火山の地質調査をおこなっていた彼は、丹那断層をまたぐ谷の地形に注目し、断層の両側の土地が南北に約1キロメートル食い違っていると主張したのである。
 彼がまず注目したのは、前回述べたJR函南(かんなみ)駅の東方にある冷川の支流に沿った谷地形である。この支流は、函南町軽井沢の西で2つに枝分かれしているが(地図のAとB)、どちらの谷も丹那断層の位置で途切れ、その東側に続かない。もし丹那断層が縦にずれているだけだったら、2つの谷は軽井沢の東にも存在するはずであるが、全くその様子は見られない。久野は、この2本の谷の続きを、軽井沢の北隣りの田代盆地の東にある2本の谷(地図のA’とB’)と考えた。この2つの谷は、その間隔や深さが軽井沢の西にある2本の谷と似ており、やはり丹那断層の西側には続かない。丹那断層が、その両側の土地を南北に1キロメートルずらしたと考えれば、両者はうまく接続するのである。
 同じ目で見ると、伊豆の国市の韮山(にらやま)反射炉付近から東に伸びる谷(地図のC)も、その上流は丹那断層で断ち切られている。その続きは市民の森浮橋(ルビ:うきはし)付近から東に伸びる谷(地図のC’)であり、両者は断層によってやはり1キロメートルほどずらされている。さらに、久野は湯河原火山と多賀火山の境界線も、丹那断層によって同程度ずれていることを見いだした。
 これらの証拠によって、久野は丹那断層が、約100メートルの縦ずれに加えて、少なくとも1キロメートルに及ぶ大きな横ずれをもった断層であると主張した。それは何と1935年(昭和10年)に出版された論文に書かれている。当時は、世界的にもそれほどの大きな横ずれ量をもつ断層の存在は知られておらず、しかも断層運動が地震の原因であることすらわかっていなかった。そうした状況を考えれば、久野の研究成果はたいへん画期的なものであった。そうした世界的な研究が最初になされた場所が丹那断層であることを、私たちは誇りに思ってよい。

丹那断層に沿う谷の地形のずれ。

 

丹那断層北部の地形の立体模型。函南町の丹那断層公園に設置されている。互い違いの矢印は丹那断層のずれかたを示す。

 

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