伊豆新聞連載記事(2009年8月9日)
火山学者 小山真人
活断層とは、地下深部の震源断層のずれが地表に達し、はっきりと地形や地層のずれとして認められるものを言う。よって、活断層の地下には、大地震を起こす能力を秘めた震源断層が眠っている。伊豆半島とその周辺海域には、数多くの活断層の存在が知られている。
丹那(たんな)断層は、おそらく伊豆で最も有名な活断層であろう。その地形はきわめて明瞭で、箱根峠の南に始まり、函南(かんなみ)町の丹那付近を通り、玄岳(くろだけ)の西側にある池の山峠を経て、伊豆の国市の浮橋(うきはし)付近まで南北18キロメートルにわたっている。さらに、丹那断層の延長とみられる断層群が、浮橋付近から南西に13キロメートルほど連続し、伊豆市の早霧湖(さぎりこ)付近に達している。
これらの活断層に沿って直線状の谷ができたため、深沢川や古川は、もとの下流である沼津方面にまっすぐ向かえなくなり、わざわざ南南西の修善寺方面に長い距離を流れた後に狩野川に合流している。また、活断層ぞいには、田代、丹那、浮橋、田原野などの、ここに本来あるはずのなかった小さな盆地が並んでいる。これらの盆地は、活断層のずれが何度もくり返し、地盤を沈ませたためにできたものである。そもそも、この地域は本連載の第34回で述べた多賀火山の西側斜面にあたり、もともとは西に向かう単調な傾斜が続いていたが、活断層ができたために斜面を切りこんだ深い谷間や盆地がつくられたのである。このため、熱海峠越えの旧道や宇佐美-大仁道路などの、伊豆の東西をつなぐ幹線道は、いずれも活断層のつくった谷間をまたぐために、2度峠を越えて東海岸に至っている。
断層をまたぐ川についても事情は似ていて、たとえばJR函南駅付近を流れる冷川の支流を東にさかのぼっていくと、標高330メートル付近で突然谷が終わり、その先は丹那断層に沿った柿沢川の深い谷となってしまう。冷川支流の谷はさらに上流へと続いていたはずであるが、その先は空中に消えているのだ。そして、断層ができる前に、この谷が本来どこに続いていたかを地形図から考えた時、丹那断層の驚くべき秘密が見えてくるのである。
丹那断層の位置関係。太い破線が丹那断層とその南方延長。断層に沿う盆地を灰色で示した。太い実線は主な河川、細い実線は主な道路。
玄岳付近から見た丹那盆地。白い破線は丹那断層のおおよその位置。