伊豆新聞連載記事(2009年8月2日)

伊豆の大地の物語(101)

生きている伊豆の大地(3)神奈川県西部地震

火山学者 小山真人

 伊豆の東西両側に伸びるプレート境界を震源域とする東海・南海地震と関東地震について前回述べた。一方、プレート境界地震とは異なるが、それに準じた性格をもつのが神奈川県西部地震(いわゆる小田原地震)である。この地震の震源とみられる断層(西相模湾断裂)は、初島沖から小田原付近にかけての地下数キロないしは十数キロメートルにあり、フィリピン海プレートの内部にできた割れ目と考えられている。相模湾から房総沖にかけてフィリピン海プレートが関東地方の下に沈み込んでいる一方で、伊豆が本州に衝突して沈み込めない状態にあるため、両者の間が引き裂かれてできたのが西相模湾断裂である。いわば西相模湾断裂は、伊豆の東方沖の岩盤を、北からハサミを入れるように切り裂き始めた割れ目であり、将来的には伊豆半島と伊豆七島の間を南南西に伸びていき、いずれは伊豆全体を切り取るプレート境界断層へと成長すると考えられている。
 神奈川県西部地震の震源域は、前回述べた関東地震の震源域と隣り合っているために、両地震は複雑に関連し合って起きてきたらしい。神奈川県西部地震と判定できる地震で最古のものは、1633年に起きた寛永(かんえい)小田原地震である。この地震はマグニチュード7級の規模をもち、西相模湾断裂の南寄りの部分が破壊して生じたために津波をともない、熱海市から伊東市にかけての海岸で被害が出ている。寛永小田原地震と同じく、西相模湾断裂で起きた地震として考えられているのが、1782年天明小田原地震と1853年嘉永(かえい)小田原地震である。この両者は、断裂の北寄りの部分が破壊したために、明瞭な津波は発生させなかったようである。
 一方、前回述べた1703年元禄(げんろく)関東地震と1923年大正関東地震の際には、西相模湾断裂も同時に活動したとする見方がある。そう考えないと、津波の特徴や、地震時の初島や真鶴岬の隆起を説明できないからである。つまり、この両地震は、正確に言えば関東地震と神奈川県西部地震が同時発生した地震であった。この考えにもとづけば、西相模湾断裂で生じた地震は1633年・1703年・1782年・1853年・1923年の過去5回ということになり、平均73年間隔で起きてきたことになる。このことから、次の神奈川県西部地震の発生が1998年前後と推定されていたが、幸いなことにまだ発生をみていない。

伊豆から相模湾にかけての地下構造と西相模湾断裂。

 

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