伊豆新聞連載記事(2009年7月26日)
火山学者 小山真人
伊豆に被害を与えてきた地震のうちで、まずプレート同士の境界で起きる東海・南海地震と関東地震について説明しよう。東海地震と南海地震は、伊豆の西側に続くプレート境界で発生する巨大地震であり、駿河湾・遠州灘・熊野灘(地図のE・D・C)を震源域とするものが東海地震、紀伊水道・四国沖(地図のBとA)を震源域とするものが南海地震である。なお、最近は駿河湾から御前崎沖(地図のE)を震源域とする地震を「東海地震」、その西隣の遠州灘から熊野灘(地図のDとC)を震源域とする地震を「東南海地震」と呼ぶこともあるが、行政的な呼び方であって歴史全体を見通したものではない。いずれにしても、震源域がA〜Eのいずれか単独でも規模はマグニチュード8程度となり、A〜Eの震源域が同時に地震を起こせばマグニチュード8.7に達する超巨大地震となる。
地図からわかるように、東海地震と南海地震の震源域は隣同士であり、発生のしかたも密接に関連している。詳しい古記録の調査の結果、この2つの地震は同時に発生するか、最長で2年程度の間を置いて連発してきたことがわかっている。言いかえれば、東海地震と南海地震は双子地震であり、ほぼ同時期に連発する性質をもっている。両者をひとつの地震としてみた場合の発生間隔は、90年から200年ほどである。発生の記録は、古くは飛鳥時代(西暦684年)にまでさかのぼるが、歴史資料の乏しい伊豆での明瞭な被災記録が現れるのは明応(めいおう)地震(1498年)以降である。
一方、伊豆の東側に続くプレート境界(地図のF)で繰り返し発生するのが関東地震である。歴史上の関東地震としては、大正十二年(1923年)の関東大震災を起こした大正関東地震と、江戸時代の元禄(げんろく)十六年(1703年)に起きた元禄関東地震の2つがよく知られている。両地震とも、その揺れや津波によって伊豆に大きな被害を与えた記録が多数残されている。残念ながら、中世以前の関東地震の発生史は、関東地方の史料が乏しいために不明な点が多く、発生間隔もはっきりしない。878年、1293年、1433年などの地震記録が関東地震の候補であるが、埋もれている記録もあるとみられる。
伊豆の両側のプレート境界で発生する巨大地震。▲をつけた太線はプレート境界、A〜Fは震源域。下の年表は各地震の発生年を示す。