伊豆新聞連載記事(2007年9月2日)
火山学者 小山真人
「伊豆は南国の模型である」、これは伊豆の自然と風土をこよなく愛した作家、川端康成の言葉である(『日本地理大系』第6巻、昭和6年2月)。彼は、本州と特徴の異なる伊豆の風光や植生の特徴を、そう比喩した。しかし、その後70余年を経た現在、彼の言葉が実は比喩ではなく、本当の意味で伊豆の大地のルーツが「南国産」であるという驚異的な事実が明らかになっている。伊豆半島をつくる大地の土台部分は、もとは低緯度地域で作られ、長い時間をかけて現在の場所にたどり着いたのである。
伊豆半島は、地学的にきわめて特異な場所にある。地球の表面はプレートと呼ばれる厚さ数十〜100キロメートルの岩板でおおわれている。プレートは大小多数に分かれており、地球内部の対流にともなって、それぞれが異なる方向にゆっくりと移動している。日本付近には4枚のプレートが折り重なっており、伊豆半島はフィリピン海プレートの北端に位置している。フィリピン海プレートは、本州をのせたアムールプレートとオホーツクプレートの下に沈みこみつつある。また、太平洋プレートは、オホーツクプレートとフィリピン海プレートの下に、ゆっくりと沈みこんでいる。
フィリピン海プレートの東端に沿って、伊豆・小笠原弧(こ)という火山島・海底火山列の高まりがある。地球内部へと沈みこんだプレートが地下100キロメートルくらいに達すると、脱水反応がおきてマグマが大量に発生する。日本列島や伊豆・小笠原弧では。太平洋プレートの沈みこみによって発生したマグマが地表まで浮き上がってくることによって、多数の火山が誕生・成長してきた。伊豆半島、伊豆七島、鳥島、硫黄島や、その周辺に多数ある火山島や海底火山も、その仲間である。伊豆半島をつくる大地の大部分は、かつて陸上や海底にあった多数の火山がもたらした噴出物からできている。
伊豆半島をのせたフィリピン海プレートは、本州に対して年間数センチメートルという、ゆっくりとしたスピードで北西に移動している。この速度は微々たるものに思われるが、100万年たてば数十キロメートル移動することになる。一方、伊豆半島の土台がつくられたのは約3000万年前なので、その頃の伊豆は1000キロメートル以上も南の、現在で言えば硫黄島ぐらいの場所にあったことになる。
ここまでの説明で明らかなように、伊豆半島全体が、かつては南洋に浮かぶ火山島(一部は海底火山)であった。伊豆が本州に衝突し、半島の形になったのは、50万年ほど前のできごとである。
日本列島付近には4枚のプレート(岩板)が複雑に折り重なっている。伊豆半島はフィリピン海プレートの北端に位置している。▲は活火山。