伊豆東部火山群の時代(15万年前〜現在)

 そして,これらの大型の火山にかわって噴火をはじめたのが,小型の火山の集合である伊豆東部火山群(図5:伊豆東部火山群(東伊豆単成火山群)の地質図)でした.


コラム:火山の形と噴火様式

 伊豆東部火山群の噴火は,まず14万年ほど前に現在の天城高原の近くにある遠笠(とおがさ)山の噴火としてはじまり,13万年前には大仁町南部から伊東市北部にかけての丘陵地にならぶ高塚山,長者原,巣雲(すくも)山という3火山からなる火山列の噴火が起きました.高塚山は採石場の崖で,巣雲山は伊豆スカイラインぞいの崖で,それぞれの火山体の断面を観察することができます(写真11).

写真11:伊豆東部火山群巣雲山スコリア丘の断面.スコリア丘の内部構造がよく観察できる.伊豆スカイライン巣雲山駐車場付近.

 10万年前ころになると,今度は伊東市の南部で大きな噴火があいついでおこり,一碧湖(いっぺきこ)を中心とする北西―南東方向にならぶ火山列がつくられました(写真12).一碧湖やその南東にならぶ東大池は,はげしい水蒸気爆発によってつくられた火口湖です.伊東市かどの台別荘地のある高台や,国道135号線の通る梅木平(うめのきだいら)という高台もこれらの火山によってつくられたものです.

写真12:伊東市南部にある一碧湖.およそ10万年前の水蒸気爆発によってできた火口に水がたまったもの.大室山山頂より望む.

 9万年前以降になると,伊豆半島東部のいたるところで火山噴火がおきるようになりました.河津町では,鉢ノ山(3万8000年前,写真13)や登り尾南(2万5000年前)という火山が噴火し,河津七滝をつくる溶岩流が噴出しました(写真14).東伊豆町では,堰口(1万7500年前)という火山が噴火し,溶岩流が白田川に流れ込み,火山れきが熱川の台地を厚くおおいました.天城湯ヶ島町では,鉢窪山や丸山(1万7000年前)という火山が噴火し,そこから流れ出た溶岩流が狩野川に流れ込んで浄蓮の滝がつくられました.中伊豆町では,地蔵堂という火山(2万2000年前)が噴火し,そこから流れ出た溶岩流が万城の滝をつくりました.1万4500年前には伊東市にある小室山が噴火し,5億5000万トンもの溶岩を流出しました.この厚い溶岩流のつくる台地の上に現在は川奈ゴルフ場が建設されています.5000年前には同じく伊東市の大室山が噴火し,5億1000万トンの溶岩を流出しました.この溶岩流がつくる台地が,現在伊豆高原と呼ばれている場所です.この溶岩流は海に流れ込み,現在の城ヶ崎海岸をつくりました.

写真13:伊豆東部火山群鉢ノ山.スコリア丘であることを示す円錐形の山体が美しい.北方より望む.

写真14:河津町の名勝河津七滝(ななだる)のうちの大滝おおだる.伊豆東部火山群登り尾南火山の溶岩流が川をふさいでできたもの.溶岩流のつくる柱状節理が見える.河津町梨本にて.

 3200年前には,今から考えるとぞっとするようなでき事がおきました.天城山の山頂付近のカワゴ平と呼ばれている場所で,爆発的なはげしい噴火がはじまったのです.この噴火はまず,伊豆半島の広い範囲に軽石の雨を降らせることからはじまりました(写真15).そして,それに引きつづき,何回も火砕流が発生したのです.火砕流はおもに大見川上流の谷ぞいを流れ,現在の中伊豆町筏場(いかだば)付近を埋めつくしました.また,火砕流にともなう大規模な土石流も発生し,火口から北方の大見川だけでなく,北西方の狩野川や南方の白田川を流れ下りました.火口や火砕流から噴煙として立ちのぼった火山灰は,風にのって北西の方角に流され,遠く浜名湖にまで降りそそぎました.そして,最後に厚い溶岩流が火口から北へと流れ下り,噴火は終わりました.現在ではこの溶岩流を採掘し,建材などに利用しています.
 2700年前になると,天城山の北東斜面でふたたび噴火がはじまり,北西―南東方向にならぶ火山列がつくられました.この火山列には3つの溶岩ドームが含まれています.大室山の山頂から天城山方面を見たとき,天城山の手前の山腹にごつごつしたつり鐘状の山が盛り上がっているのがわかります.この山が,そのときの噴火で生じた矢筈山(やはずやま)という溶岩ドームです(写真16).そして,この火山列の噴火以来,1989年の手石海丘の噴火にいたるまで,およそ2700年間伊豆半島では噴火のない静かな時代がつづいたのです.

写真15:伊豆東部火山群カワゴ平火山の降下軽石(白いつぶつぶ)と火山灰(ピンク色または茶色の部分).

写真16:伊豆東部火山群矢筈山溶岩ドーム(中央やや右よりのごつごつした山).左後方のなだらかな山は遠笠山.


コラム:火山灰から知る噴火の歴史


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