浅い海だった時代(1000万年前〜200万年前)

 1000万年前頃,のちに伊豆半島となる部分をふくむ伊豆・小笠原弧の北部一帯ではげしい地殻変動がおき,湯ヶ島層群や仁科層群の地層がしゅう曲したり,断層によって切られたりしました.この地殻変動の原因はまだよくわかっていませんが,伊豆・小笠原弧の西部で地殻が割れて広がったせいではないかと考えられています.この事件のあと,のちに伊豆半島となる場所の全体が浅い海となり,あらたにたくさんの海底火山ができました.火山のあるものは成長して海面上にその姿をあらわし,火山島になりました.ちょうど現在の伊豆七島のような環境ができあがったのです(図4:伊豆半島のおいたち).
 この時期に浅い海でたい積した火山岩や,火山岩が破片になってできた火砕岩の地層が,白浜層群と呼ばれるものです.白浜層群は,伊豆半島のたいていの場所で見ることができます(図3:伊豆半島の地質図).土肥から石廊崎をまわって河津浜にいたる海岸の崖のほとんどは,白浜層群の地層でできています.たとえば,西伊豆町の堂ヶ島海岸の崖にみられるみごとな地層は,海底火山の噴火にともなって発生した大規模な海底土石流たい積物の上に降ってきた軽石が重なったものです(写真5).

写真5:白浜層群の海底土石流たい積物.海底火山の噴火にともなって発生した大規模な土砂の流れである.海底土石流たい積物の上に重なる降下軽石の層には海流や波浪の作用によってつくられた美しい縞々(斜交層理)が見られる.西伊豆町堂ヶ島にて.

また,大仁町のシンボルとも言うべき城山(じょうやま)は,この時代にできた火山の根っこ(火道)が浸食作用によってむき出しになったものです(写真6).この時代の浅い海にはたくさんの生物が生息しており,それらの生物の殻が粗い砂となって海底にたい積しました.下田市の白浜海岸の崖にみられる貝殻やウニの化石をたくさん含む砂岩は,こうしてできたものです.

写真6:大仁町のシンボルである城山.白浜層群の時代に噴火した海底火山の根っこをつくっていた火道(マグマの通り道)が浸食作用によって洗い出されたもの.



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