伊豆半島は,現在ある場所に最初からあったわけではありませんし,本州につながる半島の形をしていたわけでもありません.2000万年前の伊豆半島は,本州から南に1500kmほどへだたった海底火山でした.この頃は,四国沖から南洋のパラオ島にかけて大規模な海底火山活動がおきて,現在四国海盆と呼ばれている部分の海底地殻があらたにつくられていた時代でした.ここからやや東に離れた位置にあった昔の伊豆半島も,この火山活動の影響を受け,海底火山が噴火をはじめました.この海底火山の噴出物(仁科層群)を,西伊豆町の仁科川の流域で見ることができます(図3:伊豆半島の地質図).
仁科層群の地層は,玄武岩や安山岩の溶岩や,火山れき・火山灰などの火砕岩からできており,海底でたまった証拠が多くみられます.そのひとつが枕状溶岩です(写真1).
写真1:仁科層群の枕状溶岩.海底に噴出した粘性の小さい玄武岩溶岩が,表面張力の作用でチューブ状の流れになったもの.西伊豆町一色にて.
枕状溶岩は,粘性の小さい溶岩が海底を流れるさいに表面張力によってチューブ状の流れになってできたものです.また,海底で発生した巨大な土石流のたい積物も多くみられます.溶岩や土石流たい積物の間には,深海底にゆっくりと降りつもった泥がはさまっており(写真2),この泥の中にふくまれるプランクトンの化石から,仁科層群のたまった年代を決めることができました.
写真2:仁科層群の火砕岩と凝灰質泥岩の互層.凝灰質(火山灰質)泥岩中には,たくさんのプランクトン化石が含まれる.西伊豆町出合にて.
四国海盆の海底火山活動は1500万年前頃までにはおさまり,こんどは伊豆・小笠原弧で海底火山活動がはじまりました.この海底火山から噴出した火砕岩が,深い海底に土石流や乱泥流となってなだれこんだり,降りつもったりしてできたのが,湯ヶ島層群とよばれる地層です(写真3).
写真3:湯ヶ島層群の乱泥流堆積物.細粒の火山灰が一団となって深海底に流れ込み,たまったもの.天城湯ヶ島町の狩野川ぞい.
湯ヶ島層群は,その名のとおり湯ヶ島温泉を流れる狩野川や猫越川のほか,修善寺付近の大見川や狩野川,松崎町の那賀川下流など,おもに谷に沿った低い場所で見ることができます(図3:伊豆半島の地質図).
1100万年前くらいになると,海底の一部が浅くなり,貝殻やサンゴなどの浅い海にすむ化石の破片がうず高くつもる場所もできてきました.河津町の梨本や中伊豆町の下白岩しもしらいわにみられる石灰岩や石灰質砂岩は,この時期のたい積物です.のちに伊豆半島となる部分の海底は,フィリピン海プレートの移動とともにゆっくりと本州へ近づいてきましたが,この頃はまだ本州から1000kmくらい南にあったため海は温かく,熱帯性の大型のプランクトンや貝がたくさん住んでいました.中伊豆町下白岩の石灰質砂岩は,このような大型プランクトン(大型有孔虫)の化石産地として有名です(写真4).
写真4:湯ヶ島層群の石灰質砂岩.大型プランクトンや貝の化石を含んでいる.中伊豆町下白岩にて.