書評(「科学」1992年7月号,岩波書店)


つじ よしのぶ著

「富士山の噴火―万葉集から現代まで」

築地書館 1992年
259頁 2060円(税込)

 富士山は,宝永4年(西暦1707年)に大噴火して以来,300年近く静穏な状態がつづいているというのが大方の人の常識である.宝永の噴火は東海道および南海道沖を震源としたマグニチュード8.4という巨大な地震のわずか49日後に起きたため,大地震によって引き金をひかれた噴火の典型例と考えられている.ふたたび東海地震の発生が懸念されている現在,長い沈黙を保ってきた富士山の今後の動向は誰もが気にかかるところである.

 ある火山の将来の噴火について長期的予測をおこなうためには,その火山の噴火史を調べる必要がある.これまで火山の噴火史は,火山近傍に堆積している火山灰層の1枚1枚を克明に調べる地質学者の地道な努力によって明らかにされてきた.ところが,歴史時代の噴火をさぐるもう一つの有力な手掛かりである古文書の収集・解析が徹底的に行なわれた例は意外に少なく,その道の専門家と言えるほどの人がいないのが実状である.

 この本の著者つじ氏は,本来は歴史地震(歴史津波をふくむ)の専門家の一人である.歴史地震学は,ともすれば主観や虚偽の入りやすい古文書の成立背景を把握した上で,そこに記された被害の程度や分布を読み取り,それにもとづいてマグニチュードや震源断層の位置・形態などを推定し,機器観測がはじまる前に発生した地震像を描き出すという学問である.よって,歴史地震の専門家は地震学のエキスパートであるばかりでなく,古文書を読むという文学的技法にも精通するという,理系文系の両方にわたる才能を備えていなくてはならない.本書は,歴史地震の専門家がその手法をそのままに,対象を地震から火山へとかえて適用した稀有な試みである.

 こう書いてくると,本書はいかにも専門家向きのお堅い書物であるような印象を与えてしまうだろうが,実はそうではない.本書は産経新聞の地方版に連載された解説記事に修正加筆した全54話からなり,一般読者をつよく意識し,ときには関西弁もまじえたソフトで平易な語り口を備えたものである.1話の長さも平均3〜4頁と短く,1話1話が異なるトピックスをもつので,どこからでも好きな時に読みはじめることができる.

 話は,まず古代の神話の中にわずかにのこる富士山の姿の記述から始まり,平安時代,中世,江戸時代と時の流れに沿って進む.とりあげる古文書には意外と有名なものが多く,『竹取物語』の最後の一節である「その煙,いまだ雲の中へ立ち昇るとぞ,言ひ伝へたる」が富士山の噴煙のことをさすという話や,高校の古文の教科書にものっている(評者も高校の授業で習った記憶がある)菅原孝標女の筆による『更級日記』の中の一節,「山のいただきのすこしたひらぎたるより,煙は立ちのぼる.夕暮れは火のもえたつも見ゆ」などを取りあげている.ここには富士山の噴煙の記載に加えて火映現象の記述までみられ,1020年の秋に富士山の山頂火口内に赤熱した溶岩湖が存在していたことが証明されるのは,感動的でさえある.

 本書の大きな特徴は,(1)従来着目されていた噴火現象の記述だけにとらわれず,それよりもずっと資料豊富な火山噴煙の有無の記述に着目したことと,(2)客観的な記載文だけでなく,和歌や物語の中の恋愛感情のたとえとして登場する富士山の噴煙記述を徹底的に拾ったこと,の2点であろう.この結果,歴史時代における富士山の噴煙活動の消長の様子がみごとに明らかとなった.それは1つの年表として最終話の付図にまとめられている.新知見のうちで重要なものは,上述した宝永噴火の147年後(1854年)に発生した安政東海地震(マグニチュード8.4)の直後にも小噴火とおぼしき現象があったことや,少なくとも14世紀以降,南海または駿河トラフにおける巨大地震の直後に富士山の噴煙活動が活発になっているらしいことが示された点である.もし,このことが事実であれば,近い将来発生するであろう東海地震のあとに,富士山で再び何らかの事件が起きる可能性は高いと言えるだろう.

 多少気になる点もいくつかある.火山活動にともなって火口から立ちのぼる煙には,火山灰まじりの黒または灰色の煙である噴煙と,水蒸気などの火山ガスを主体とした噴気とがある.前者はたしかに臨界に達した火山活動のあらわれであることに間違いないが,後者は箱根大涌谷のような地熱地帯にも伴いうるものであり,必ずしも火山活動のピークを示すものとは言えない.よって,両者は明確に区別されるべき性質のものであるが,本書は噴煙と噴気の厳密な区別をそれほど意識してはいないようである.もっとも,単に「煙」と書いてある文献がほとんどであり,その記述から噴煙と噴気の区別をせよと強いるのは酷であろう.また,著者はある古文書の記述から802年の噴火の際,須走口新五合目付近の小富士と呼ばれる小山が側火山として誕生したと主張しているが,これは従来の地質学的知見とは異なるようである.

 以上,若干の難点も述べたが,これらは本書の価値を少しも損ねるものではない.火山の研究は本来学際的になされるべき性質のものであるが,実際には日本社会の欠点ともいえる地域的あるいは分野的な縄張り意識があって,新参の研究者や目新しい研究手法の参入に対して批判的な姿勢がしばしばみられるようである.火山学界が本書のような学際的かつ斬新な研究をあたたかく迎え,本書が契機となって古文書解析を重んじる火山学の一分野が今後発展することを期待したい.

小山真人(静岡大学教育学部)


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