●長保元年(999)噴火

 藤原通憲が平安時代末に編纂した史書『本朝世紀(ほんちょうせいき)』に「(長保元年三月)七日庚申(中略)駿河國言上解文云,日者不字御山焼由,何祟者,即卜申云,若恠所有兵革疾疫事歟者」とある.不字御山(富士山)が噴火したとの知らせが,長保元年三月七日(999年3月26日)に京都にもたらされたが,規模や様相などの具体的記述はみられない.兵乱や疾病の前兆と恐れられて占いがなされたようだが,一般に古代〜中世社会の天変地異への反応の程度は時代背景や流行した思想の影響を多分に受けるので,噴火規模には単純に結びつかないだろう.噴火の場所・規模・様相は不明である.


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