前述の『富士山記』に「貞観十七年,十一月五日(875年12月6日),吏民仍舊致祭,日加午天甚美晴,仰観山峯,有白衣美女二人,雙舞山嶺上,去嶺一尺餘,土人共見」とある.「白衣美女」は雲のたとえだろうか.富士山上空にはしばしば雲がかかるが,わざわざ伝承されるからには異常な現象があったと思われる.白い噴気?が2ヶ所に望見されたのかもしれない.なお,類似した記事が「宮下文書」中の2史料(『高天原変革史』,『噴火年代記』)にもある.
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