×仁寿三年(853),天安二年(858),貞観元年(859)

 武者(1941)は,以下の3つの史料記述を挙げて「富士山異状アリ(?)」としているが,いずれもその時期の火山活動と結びつくかどうかは疑わしい.
 (1)朝廷によって9世紀後半に編纂された史書『日本文徳天皇実録』に「(仁寿三年)秋七月甲午、以駿河國浅間神預於名神(中略)壬寅,特加駿河國浅間大神從三位」とあり,仁寿三年七月五日(853年8月13日)と七月十三日(8月21日)の2回,富士山の主神である駿河國浅間大神の格上げがなされたことがわかる.
 (2)朝廷によって9世紀末に編纂された史書『日本三代実録』に「貞觀元年春正月(中略)二十七日甲申,京畿七道諸神進階及新叙,惣二百六十七社(中略)駿河國從三位淺間神正三位」とある.
 (3)武者(1941)は,『國史記事本末』(水戸藩士青山延光が1861年に著した史書)からの引用として「天安二年自帝即位至是歳,天下群神列官社者,(中略)駿河則淺間神」を挙げている.
 このうちの(2)については,駿河國淺間神だけでなく全国267社の一斉格上げであるから,富士山の異状に結びつくとは思えない.また,(3)については,およそ1000年後の史料であり,かつ天安二年当時の正史である『日本文徳天皇実録』と『日本三代実録』には欠落巻がないにもかかわらずこのことが記されていないので,事実かどうか疑わしい.仮に事実としても「天下群神列官社者」とあるから(2)と同様の一斉格上げかもしれず,天変地異と結びつけるのは早計であろう.
 832年から886年までの期間は,伊豆地方の10神社においてのべ35回にもわたる神階の格上げがなされた時期であり,そのうちの28回が850年代にある(仁藤,1994).実際に9世紀に富士山や伊豆七島に噴火が多かったことは事実であり,850年代だけを見ても856年安房国降灰事件,857年に京都で南東から鳴響が聞こえた事件がある(小山・早川,1996).
 しかしながら,歴史時代に噴火が起きた証拠のない利島と御蔵島の神社の神階がそれぞれ3回ずつ格上げになっていること,当時の神階の格上げは気象災害もふくむ天変地異全般に対応していたこと,伊豆地方の神階の格上げには政治的意図も働いていたこと(菅原,1997)から考えて,850年代になされた駿河國浅間大神の格上げを特定の火山異常と結びつけることは,他の独立した証拠がない限り,むしろ不自然と思われる.


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